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2004年11月03日(水) ■ |
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「俳優というのは、本当にありがたい」 |
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2004年11月3日の記事「アジアンスター」のトニー・レオンさんのインタビュー記事より。
【インタビュアー:どんな役をやっても繊細でソフトなイメージが強いが、本気で怒ることはあるのか?
トニー・レオン:実はあまりないんですよ。映画以外ではね(笑い)。なぜかと言うと、とても運動が好きなので、普段の生活や撮影などでプレッシャーはあるのですが、運動で解消してしまうんです。だから、自分の暮らしが常に穏やかになります。もちろん、私も人間なので、みっともない一面もあるのですが、悔しかったり、怒ったりしても、その感情をその場で出すよりは、映画の役づくりに生かそうとか、前向きな方向に切り替えるようにしています。怒りや嫉妬があると、自分自身が不愉快になります。だから、いつも思うのですが、俳優というのは、本当にありがたい職業です。】
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日本の女優さんといえば、私生活でも「私は女優よ!」とマネージャーをどやしつけ、「灰になるまでオンナ」とかいう人が多いのではないか、というイメージがありますし、俳優さんも「役者魂!」というような方が目立つのですが、いまやアジアを代表する世界的スターであるトニー・レオンさんのこの発言というのは、民族性の違いなのか個性の違いなのか、とにかく僕には新鮮に感じられました。 彼の言葉は、ある意味ものすごく合理的なもので、世間で「不眠症」に悩む人のなかで、その要因として「運動不足」がある人は、けっして少なくないと言われていますし。 確かに、体を動かすというのは、ストレス解消のひとつの方法なんですよね。僕は運動嫌いなので、正直、あまり気乗りがしない手段ですけど。 ところで、僕はこのインタビューを読んで、こんなことを考えました。 「正直に、欲望に忠実に生きる」「自分の感情をありのままに出す」ということが、どんどん正当化されている世の中なのですが、はたして、そういう世の中が「生きていきやすい」のかどうか? もちろん、世界中の人々が「非暴力・不服従」のマハトマ・ガンジーのようになることは不可能だとしても、みんな何かをガマンしながら生きているというのが、正常な状態なのだと思うのです。 トニー・レオンは、「自分は俳優だから」と答えていますが、役者という仕事に限らず、多かれ少なかれ、生きているというのは何かを演じているということなのではないでしょうか。 「本当の自分」というのは、たぶん「自分で作ろうとしている『本当の自分像』みたいな、作為的なもの」にすぎないのに、それを理由にして、自分の欲望を正当化している人があまりに多すぎる、そんな気がしています。 例えば明治維新の日本を支えた人たちは、「プライドの塊」の「ええかっこしい」だと思いますが、現代人は「自分に正直に」という言葉に踊らされて、自分の生き方におけるプライドを捨ててしまっているというのは、悲しくて情けないことなのではないかなあ。
僕は、「本当の自分」なんて世界の何処にもいないと思う。 「自分」というのは、今ここにいる、ただそれだけのつまらないけれど、かけがえのない存在。 それでも、怒りや嫉妬は、絶えることもなく、どこからか湧いてくるのだけれど。
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