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2004年11月01日(月)
天気予報の変人

西日本新聞の記事より。

【「雨」のはずが晴れ、「晴れ」のはずが雨―。十月三十日から十一月一日朝にかけての福岡県内の天気予報が外れ、福岡管区気象台には、予報を見て週末の外出を控えるなどした市民らからの苦情・問い合わせが百件以上寄せられた。同気象台は「低気圧に伴う雨雲の大きさの予測がずれた。ご迷惑をおかけした」と平謝りだ。
 同気象台によると、三十日の同県内は、九州の南にある低気圧の影響で終日雨が降ると予報。降水確率も60―70%としていた。しかし、当日は日本の北にある高気圧の勢力が強く、低気圧の雨雲が同県まで広がらず晴れたという。
 気象台には同日、「外れたじゃないか」といった苦情などの電話が、多いときで一時間に約十五件、日中だけで計約百件かかったという。
 一方、一日朝は高気圧に覆われ晴れると予報していたものの、福岡市内などで午前七時すぎから一時雨が降った。これは、日本海にある別の低気圧の雨雲が同県内にかかるとは読んでいなかったためという。気象台には、同日午前、数件の苦情電話があったという。
 同気象台は「予報の精度が上がるよう、努力していきたい」と話している。】

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 この「過剰反応」は、相次ぐ台風上陸や地震などの大きな天災で、みんなナーバスになっていることや、秋の行楽シーズンでもあり、休みを利用してアウトドアで楽しもうという人が多かったことが原因なのでしょう。

 それにしても、確かに天気予報が当たらないのは困ったものではあるけれど、気象台に苦情の電話をかける人がこんなにいるということには、僕はちょっと理解できない気がするのです。
 そりゃ、洗濯物を干しているときに雨が降ってきて、「天気予報では、ずっと晴れって言ってたじゃないか!」と腹が立つことはありますが、その腹立ちまぎれに電話を握りしめ、即座に気象台に抗議電話をかけるなんてことはありません。そもそも、気象台の電話番号なんて知らないし、わざわざ電話帳で調べたり番号案内で尋ねたりするほどの気力もありませんし、仮にそのステップにまで達したとしても、実際に抗議電話をかける前に正気に戻るはずです。「降水確率」とか「予報」という言葉そのものが、すでに「不確定要因を含むもの」であって、絶対確実なら「天気予定」でいいのだし「晴れor曇りor雨」があらかじめ決まっているものなら、雨が降る「確率」というのは、0%か100%にしかなりません。残念ながら、現在の自然化g区でも、天気を完全に予想するというのは不可能なのです。
 そんなこと、みんな本当はわかっているはずなのに。

 それでも、こんなふうに「抗議電話」や「抗議メール」を送る人というのは、後を絶ちません。僕はなんだかこういうのって、すごくイヤだなあ、と感じてしまうのです。報道の内容が偏向していたり、私人を傷つけるものであったような場合はともかく、天気予報の結果とかイラクで拘束されてしまった人の家族とかに「直接抗議する」ことによって、何かメリットがあるとは思えないのですが。
 だいたい、こういう場合の気象庁や人質家族の対応というのは「平謝り」しかないでしょう。「外れるから『予報』なんだよバカ」とか「心配ではあるけれど、24歳の息子が今現在どこにいるかを100%親が把握している家族って、そんなに多数派なのか?」とか言い返したくなっても、それは自分たちの立場を悪くしてしまうだけのことだから。
 でも、彼らが謝ったところで天気は予報通りになるわけでもなく、テロリストは人質を解放してくれるわけでもありません。
 要するに、こういう「相手を謝らせるためだけの抗議電話をかける人々」というのは、「絶対に反撃されることのない安全な場所から、他人を一方的に責めたてて悦に入っているだけ」なのです。
 「正義」を隠れ蓑にした、単なる「うさばらし」なんじゃないの?

 そんなに気象台と仲良くしたいのなら、「今日の予報は当たって嬉しかったです。ありがとうございました!」とちゃんと当たったときも評価してあげないと、「不公平」なんだけどなあ。