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2004年10月22日(金)
『ドラゴンクエスト』の面白さと堀井雄二の才能

「CONTINUE.Vol.17」(太田出版)のインタビュー記事「日野晃博(レベルファイブ)TFLOとドラクエを語る」より。

【インタビュアー:ところで、日野さんにとって、堀井雄二さんは憧れの人じゃないですか。実際にいっしょに仕事をして、印象は変化しましたか?

日野:ある意味では印象通りの人でもあったんだけど。堀井さんは力の抜きどころを知っている、ゲーム作家だなぁと思いました。資源が無限にあるという前提で、ゲームを面白くする方法って言うのは、ある程度のゲーム制作者ならだいたいわかる。でも、限られた条件の中で面白くするっていうのは大変なことで。限られた条件の中で最大限のパフォーマンスを引き出すっていうのは、才能の差だと思うんだけど。そういう点意味で堀井さんの考え方はすごい。面白いところには力を入れるけど、力を抜くところでは抜くという判断ができるんだよね。「ここはいらない」ってバサッと切り落とす。これが『ドラゴンクエスト』の面白さなのかと。僕だとよくばりに、入れられるものをじゃんじゃん入れちゃうかも知れない。やはり、堀井さんはファミコンっていう少ないデータ容量のゲーム機で、面白いものを作り続けるという結果を出してきた人なんですよ。】

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 ドラゴンクエスト8」を制作したゲーム開発会社「レベルファイブ」の代表・日野晃博さんのロングインタビューの一節です。
 「捨てる!技術」という本がベストセラーになりましたが、実際に一緒に仕事をした日野さんの目からみると、ゲームデザイナーとしての堀井さんの才能は、「力の抜きどころを判断する力」、すなわち「ここはいらない」というところを切り捨てることができる人、という点にあるようです。

 確かに、最近のゲームをやっていると「詰め込みすぎ」という印象を受けることがあって、制作者側としては、「いろいろな遊べる要素を詰め込んでいる」つもりでも、遊ぶ側からすれば「そんなことまでつきあってやっているヒマはないんだけど」とか「そんな『寄り道』に力を入れるくらいなら、本筋のところでもうちょっと頑張ればいいのに」なんて思うこともけっこうありますし。
 「ものすごくリアルに描いてあるグラフィック」とか「広大な世界」なんていうのは、やっぱり作る側からすれば、「売るために必要な要素」「プレイヤーへのサービス」だと考えてしまうんでしょうね。
 実際に遊ぶ側からすれば、魔法を一度使うたびに長々と凝ったグラフィックが流されたり、隠し要素だらけで、画面の隅々まで調べてまわらないとクリアできないゲームなんていうのは、「めんどくさい」以外の何物でもないんだけど。
 「ドラゴンクエスト」というのは、「1」からもう20年くらい経っているにもかかわらず、ゲームとしての基本的なところは、ほとんど変わっていません。グラフィックもサウンドも向上してはいるのですが、あくまでもそれは「演出の一部」であって、「せっかく描いたすごい魔法のグラフィック」だからと、プレイヤーがそれを飽きるまで何度もみせられるようなことはほとんどありませんし。
 以前、井上ひさしさんが「文章の書き方」について「いい文章を書くためには、自分がいちばん気に入っている部分を省くようにすればいい」というのを取り上げたことがあったのですが、確かに、作り手が苦労したところとか自信があるところを見せたいと思うあまり、独りよがりになってしまう場合というのは、けっこう多いのかもしれませんね。
 昔のゲームには、「1日3回食事をしないと、プレイヤーが飢え死にする」とか、「街の人と会話するためには、ちゃんと文章を入力して『会話』しないといけない」なんていう「リアルなんだけど、めんどくさくて、面白くない設定」というのが取り入れられていたものがあったのです。
 それはそれで、「リアリズム」という観点からはアリなのでしょうが、多くのプレイヤーは、やっぱりそこまでゲームにリアリティを必要としていなかったようです。
 もちろん、「ドラゴンクエスト」には固定ファンがたくさんついているから、「面白くなるまで、みんなガマンしてくれる」し、「他の人との共通の話題になるゲーム」という強みもあるんですけどね。

 「なんでもできる時代」だからこそ、「ほとんど何もできなかった時代」に培った「切り捨てる技術」が生かされている、というのは、皮肉な話ではありますが。
 そういえば、「新しい『何か』を始めるより、昔から続いている、不要な『何か』を省くことのほうが、はるかに有用で大事なことだ」というようなことを言っていた人がいたような気がします。