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2004年10月04日(月)
「ワープロ」 vs 「書写」 vs 「日ペンの美子ちゃん」

毎日新聞の記事より。

【青森県の公立中学校で、「書写」の授業が学習指導要領で定めた時間を満たしていない実態が、県書写書道教育研究会(会長、米田省三・県立三本木高校長)の調査で分かった。米田会長は全国でも同じ傾向と見ており、「国語科全体の時間が減ったしわ寄せがきている。日本文化全体にも大変なこと」と危惧(きぐ)している。
 書写は毛筆や硬筆で書き方を学ぶ授業。現在の指導要領(00年度実施)は、中学の書写の時間を1年生で「国語科の10分の2程度」(年間約28時間)、2、3年生で「10分の1程度」(約10時間)と定めている。
 しかし、同研究会が県内一部の11中学校を対象に00年度の実態を調べたところ、1年生で規定通り授業をした学校は1校もなく、2、3年生でも1校だけだった。中には「夏休みの宿題とした」「授業初めの漢字練習を書写指導とした」など、授業として全く行っていない学校もあった。
 行わない理由には「授業時間の減少で、書写を確保するのが難しい」「教科書の消化に追われている」などの回答があった。県教育庁義務教育課は「指導要領通り実施されていると考えていた。早急に全体の状況を把握したい」としている。
 中学校教員経験の長い毎日書道会常任顧問、中野北溟(ほくめい)さん(81)は「書くことで伝統文化に根ざした文字文化への関心が生まれる。頭の中だけではなく体を通し、身に着けるという人間教育のうえでも(書写は)大事な役割を果たす」と話している。

 ▽押木秀樹・上越教育大助教授(書写学習内容論)の話 正しい文字を速く書く学習は中学校の書写にしかない。試験で速く字を書いたりするのに影響する。いかにパソコンが普及しようと字を書くことはなくならず、子供の学ぶ権利を侵す行為だ。】

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 僕は「字が汚い」とか「読みにくい」とか言われ続けて生きてきたので、確かに、「字がきれい」というのは、それだけで羨望の対象なのです。
 そういう意味では、昨今の「人に読ませる書類はワープロが当然」という文化の恩恵をものすごく受けているのですが、その一方で、年賀状がいかにも印刷だったりすると「手書きの風情が懐かしいなあ」なんて思ってみたりもするのです。
 ワープロが出始めのころは、ワープロで印刷してあるだけでも「本みたい」なんてみんな感心して、「読みやすくてキレイ」とそれだけ大学のレポートの評価も高くなっていたような記憶があるのですが、今となってはワープロ書きだと「他の人のレポートの丸写し?」と疑われたりするのがオチなのです。「同じものを作成する」という意味では、ワープロというのは便利すぎるところがあるのかもしれません。手書きのレポートであれば、仮に丸写しであっても「写すための手間」というのがありますし、写している間に少しは頭に入ったりもするわけですから。
 小学校の宿題の「漢字100字」(って、今もあるのでしょうか?)をワープロで印刷したら、全く効果がありませんしね。

 しかしながら、「キレイな字を書くことによるメリット」というのが、僕たちにとっては年々低下してきていることも確かです。どんな達筆な字も、ワープロより読みやすいってことはないし、授業時間がどんどん削られていくなか、学校から「習字の時間」が減らされていくのも、致し方ないかなあ、という気もするのです。同じように「文化」であった算盤も、今ではあまり優遇されていないようですし。

 とはいえ、こういう時代だから逆に「綺麗な字を書ける人」というのは、ものすごく魅力的に感じたりすることもあるんですよね。「字」というのはけっこう性格が出るものですし、筆跡鑑定なんていうのがあるくらい個性が出るものですから、日頃賑やかで明るい感じの人が、ちょっとしたメモなどに整然とした字を書いているのをみると、なんだかハッとさせられます。

 ところで、「綺麗な文字」といえば「日ペンの美子ちゃん」というのをご存知でしょうか?
(参考リンク:『日ペンの美子ちゃんア・ラ・カ・ル・ト』)
 僕はこれを書きながら「最近すっかり見なくなったな美子ちゃん、今の時代は、さすがに『習字』じゃないものなあ」と思いながら検索してみたのですが、美子ちゃんは、まだ現役だったのです。
 僕は小学生のころ、マンガの裏表紙によく載っていたこのマンガの「字さえうまければ、それだけで周囲の人から一目置かれたり、カッコいい彼ができたりする」という、あまりにも御都合主義の内容を苦笑しながら読んでいたものです。そんなの「ヒランヤ・ラピス」と同じようなものなんじゃないの?って。まあ、「美味しんぼ」だって似たようなものなんですけど。
 でも、これだけ美子ちゃんが長い間現役生活を続けているところをみると、「字が綺麗な人は幸せになれる」というのは「歴史的事実」なのか「伝統的な共同幻想」なのか、よくわからなくもなってくるのです。
 どちらにしても、「字が綺麗」というのは、少なくとも悪いことではないし、「自分の手で書く」というのは、記憶のためには「見えるだけで覚える」よりは効果的だと言われています。
 ただやっぱり、「学校の授業で何を優先すべきか?」と考えた場合に、目に見える効果が出にくい、というのは事実なのでしょうが。
 「美子ちゃん」も、以前は「伝統的な書道塾への挑戦」だったのだしねえ。