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2004年10月03日(日) ■ |
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「我が野球人生に、一片の悔いなし!」 |
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毎日新聞の記事より。
【ヤクルトで98年に最多勝と沢村賞を獲得した中日の川崎憲次郎投手(33)が3日、現役引退を表明した。同日ナゴヤドームでの今季最終戦となったヤクルト戦に先発登板。一回を無失点に抑えた後に記者会見し「プロとして見せる球がなくなった。これ以上格好悪いところを見せられない」と理由を語った。 川崎は2日に落合監督から来季の戦力外通告を受け、引退を決断したことを明かした。16年間のプロ生活の思い出としてヤクルト時代の4回と今年の中日の優勝を挙げ、「野球人生に悔いはない。人に恵まれ、自分は本当に幸せ者でした」と目を真っ赤にして語った。 川崎は1989年に大分・津久見高からドラフト1位でヤクルト入団。鋭いシュートを武器に93年に日本シリーズで最高殊勲選手賞を受賞。98年には17勝を挙げて最多勝と沢村賞をダブル受賞するなどエースとして活躍した。通算成績は237試合に登板、88勝81敗2セーブ、防御率3.69。 00年オフにフリーエージェント(FA)で中日に移籍したが、右肩痛で昨季までの3年間は1度も1軍登板はなかった。落合監督が就任した今季は開幕戦を含む2試合に登板したが、どちらも打ち込まれた。 昨年は実績がないにもかかわらず、オールスターゲームのファン投票、先発投手部門で1位に。川崎は「他の選手やそのファンに申し訳ない」と出場を辞退するとともに、ファン投票のあり方にも一石を投じたことで話題となった。】
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そろそろ「引退」とか「戦力外通告」なんて言葉を耳にする時期になってきました。川崎投手が、まさに「鳴り物入り」でヤクルトから中日に移籍したのは2000年のシーズンオフ。彼の明るいキャラクターはヤクルトの「名物」のひとつでしたし、チームにもかなりの愛着があったと思われたのに、中日に移籍したのは、正直なところ意外な気持ちになったのをよく覚えています。当時は、交渉担当者の「誠意」の問題だとか、年俸などの条件的な問題だとか言われていましたが、彼は大分の高校出身ですし、どうして中日に?と不思議に思ったものです。移籍先が巨人とかであれば、(僕はアンチ巨人なので)「いい気はしないけど、話としてはわかる」のですけど。 中日に移籍してからの川崎投手は、怪我に泣かされて、まさに「鳴かず飛ばず」の状況でした。それでも、契約に従って、去年までの3年間は1軍での登板機会が全くなかったにもかかわらず、1年間に2億円の年俸をもらい、契約最終年の今年も、契約上年俸の最高ダウン率が25%までと決まっていたことから、1億5千万円の年俸をもらっていたのです。 こちらでは「ノーモア川崎」なんて書かれてしまっていますが、川崎投手自身のファンのみならず、ヤクルトファンも中日ファンも「複雑な思い」を抱き続けていたのはまちがいないでしょう。 陰でリハビリやトレーニングに励んでいたとしても「何も結果を残さないで、4年で7億5千万」というのは、「不良債権」に呼ばわりされても仕方ないところ。ましてや、ヤクルトファンにとっては「裏切り者」で、中日ファンにとっては「役立たず」なのですから、まさに立つ瀬がありません。 去年の「オールスター事件」というのは、「ネットのネガティブな力」とまざまざと見せつけられた事件でした。2年半マウンドに立っていなかった川崎投手が、「ファン投票1位」でオールスターゲームに選出されてしまったのですから。 「怪我で苦しんでいる選手に対する冒涜行為」というコメントが出る一方で、それは「何の結果も出せないのに『契約』で高額年俸を貰い続けていることに対する『報い』だという言葉も交わされていたのです。 まあ、そういう「晒し上げ」のためにオールスターのファン投票が使われるべきではないのかもしれませんが、それにしても、その行為に賛同する人があまりに多かったというのも事実。 今年も「意外な開幕投手」に指名されたものの、考えてみれば、これは最初で最後の落合監督の「予想外のオレ流」だったのかもしれません。実際、この起用以外の今シーズンの落合野球には、そんなにセオリー無視の采配はありませんでしたし。でも、あの開幕戦で川崎投手が打ち込まれたあとの大逆転劇が、結果的には今シーズンの中日の優勝に繋がったような気もするのです。
今日の「引退試合」で川崎投手は、古巣ヤクルト相手に1回を投げ、3者連続三振にきってとりました。どんな思いでマウンドに立っていたかは想像もつきませんが、おそらく、「このまま引退してしまう悔しさ」と「やっと引退できるという安堵感」が入り混じっていたのでしょうね。 端からみれば、「四年間何の結果も出せなかった人」でも、本人にとっては、本当に辛くて長い日々だっただろうし。 「そんなに悔しいのなら、年俸返上しろよ」とか「契約が残っていてもさっさと引退しろよ」という声もありましたが、もし自分が川崎投手の立場だったら、「このままでは引退できない」し「今後の生活を考えたら、貰える給料は貰っておきたい」に違いありません。 いずれにしても、川崎投手の事例は、「野球選手の長期契約」について、球団側にとっては大きな「反省材料」になったのだとは思います。
【「野球人生に悔いはない。人に恵まれ、自分は本当に幸せ者でした」】 ヤクルト時代は何度も優勝もして、「けっして不幸な野球人生」ではなかったのでしょう。 でも、やっぱり「4年間も何もせずに給料もらえたしね」と言われてしまうのは仕方がないような気がします。陰でどんなに厳しいトレーニングをしていたとしても、2億円貰っているのなら、イヤミを言われるくらいの「責任」はついてまわるものだろうし。 もしずっとヤクルトにいれば、同じ「怪我で引退」にしても、もっと違った感慨もあったのかもしれないけれど、その場合、おそらく年俸は大幅に下がり、4年間も待ってはもらえなかったとしても。
そういう意味では、川崎投手は「運が良かった」のか「悪かった」のか、なんとも言えないところです。 何事にも完璧な「幕引き」というのは、本当に難しいものですね。
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