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2004年10月02日(土)
「ネットでできる」だけでは、何の価値もない時代

「批評の事情〜不良のための論壇案内」(永江朗著・ちくま文庫)より。

(山形浩生さんに言及した章の一節です)

【山形は『アマゾン・ドット・コム』(ロバート・スペクター著・日経BP社)という本の解説も書いているのだけれども、そのなかで指摘しているのは、アマゾン・ドット・コムを創業したジェフリー・ベゾスがプリンストン大学を優秀な成績で卒業して、証券会社や通信会社、デリバティブ会社を渡り歩いて(なかには最年少で副社長というポストを与えられた会社もあった)、そのうえで「インターネットで何ができるか。インターネットでなければできないのは何か」を熟考したうえで書籍販売に帰着したことを重視している。そして山形は、アマゾン・ドット・コムの本質は流通業であり、インターネットは販売ツールのひとつでしかないことを指摘している。つまり、デスクと電話帳さえあれば誰でもできるSOHO的なものとアマゾン・ドット・コムは根本的に違うのだ。アマゾン・ドット・コムは、IT関連企業ですらないといっていいかもしれない。だが、ベゾスはインターネットを使って情報のやりとりを高度高速化し、そこに意思決定と行動の迅速化を結びつけて巨大ビジネスにした。IT革命の本質とはここにある。】

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 大事なのは、「インターネットを使うこと」ではなくて、「インターネットというツールを利用して何をするか?」ということだ。
 僕にはここに書いてあることを完璧に理解できているという自信はないのですが、おそらく、こういう内容ではないのかな、と思います。
 そして、多くの「IT企業」が嵌ってしまっている「落とし穴」というのは、ここにあるのではないでしょうか。
 ネットを巡回していると、本当にたくさんのネットショップがあります。売られているものも、食品・電気製品・本・情報etc…と、本当にたくさんの種類があるのですが、正直なところ、「ここで何か買おうかな」と目に留まるようなネットショップというのはほとんどありません。それは、デザイン的な問題もあるのでしょうけど、「ネットで買うことに意義を見出せないもの」というのは、やっぱりあるんですよね。

 僕はほとんどネットで買い物をすることはないのですが、僕の周りにはネットショッピングを利用する人はけっこういます。そして、ネットショップで1ヶ月街の「人気のお菓子」なんてのを御相伴させていただくこともあるのです。でも、そういうものの中で「リピーターとして、何度も買いたい」と思うようなものは、ごくごく一部です。
 「確かに美味しいけど、近所のあの店のできたてのシュークリームのほうが美味しいね」というような結論が出てしまうことが、けっこう多いんですよね。
 とくに食品だと、どうしても商品ができてから手元に届くまでに時間がかかりますし。
 そして、ネットショッピングの「家にいながら買い物ができる」というのは、必ずしもメリットばかりではないのです。
 僕のようなひとり暮らしの20〜30代くらいの人間にとっては、家を開けている時間が1日の大部分を占めていますから、「家に送ってもらう」というのは、かえって面倒になってしまうことも多いんですよね。「宅急便が来るまで家で待っている」というのは、かえって時間のムダのような気もするし、不在者通知に対して宅急便会社に連絡をとって、予定を決めて、というような手続きは、かなり煩わしくも感じるのです。
 ごく一般的に流通しているもの、例えば村上春樹の「アフターダーク」を買うのであれば、ネット書店を利用するより仕事帰りにでも近所の書店に寄ったほうが、はるかに便利なような気もします。「ネットで買い物ができる」とはいっても、ケーブルを通じてその場で商品がダウンロードできるようなものでなければ、ネットショッピングのメリットというのは、まだまだ「田舎では見つけにくい商品を簡単に見つけられる」とか、「他の商品と値段の比較がしやすい」とか「関連商品をまとめて見ることができる(これは、amazonの大きなメリットだと思います)」というところなのではないでしょうか。

 「ネットショップ」というのは、世間ではかなり一般化しつつあるようなのですが、実際のところ、その売り上げは一部の「勝ち組」を除けば、けっこう厳しいものがあるのが実情なのではないでしょうか?何年か前にある雑誌で読んだ「ネットショップ開業記」の記事では、何人かが開業に挑戦して「1ヵ月で1万円も売れれば御の字」という結果が出ていました。
 簡単にそのへんで買えるようなものを買うために、「大丈夫かな、ここ」と思うようなネットショップにカード番号とかを通知するのは怖いですしねえ。
 売り手のほうは「ネットで買い物ができるんだぞ、すごいだろう」と思いこんでいても、買い手のほうは「このくらいだったら、自分で買い物に行ったほうが便利」というレベルのネットショップって、けっこう多そう。
 「ネットで買える」というだけでは、もう売れない時代なのです。
 こういうのって、個人サイトのオーナーの「どうだ、オレはホームページ作ったんだぞ、すごいだろう。きっと人気サイトになるぞ」という「主観的な評価」と、来訪者側の「こんなサイト、どこにでもあるし、珍しくもなんともない。つまらねえなあ」という「客観的な評価」のギャップにもよく似ているような気もします。

 「ライブドア」と「楽天」の争いを外野から観ていて思うのは、「この『時代の最先端のIT企業の人々」というのは、『インターネットで』何かをやること」にばかり目が向いていて、その「インターネットのメリットを活かせる『何か』について考えることがないのではないか?」ということです。
 「こんなこともネットでできる」のはいいけれど、「こんなこと」をやるための手段として、ネットというツールが優れているのかどうか、という評価が甘いのではないかなあ、と。
 例えば「ネットによる新球団のリアルタイム試合配信」なんて、「じゃあ、誰がそれを観るの?」って思いませんか?
 たぶん多くの人はYahooの無料の試合速報で十分だろうし、コアなファンはスカイパーフェクTVに入るでしょうから。
 amazonがアメリカの書籍販売で成功したのは、値段を下げたのと検索をしやすくしたからで、単に「ネットで本を売っていたから」ではないのです。
 
 「ネットで○○ができる!」というだけでは、誰も見向きもせず、「ネットで○○がラクに(もしくは楽しく、安く)できる!」でないと勝負にならない時代です。
 もう、インターネットは、「目的」じゃなくて、単なる「手段」でしかないのだから。