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2004年09月29日(水)
嫌いなヤツを許すための「対処法」

「変?」(中村うさぎ著・角川文庫)より。

(作家・原田宗典さんとの対談の一部です)

【中村:依存症の人って、自分を責めるじゃない。原田くんも、鬱状態になると自分を責めるの?

原田:それは確かにある。この前、高校の友人に「原田さぁ、お前四人おったら四人に好かれようと思っとらんか。四人おったらふたりは好き、ふたりは嫌いやで」と言われて、あっと思ったんだよ。俺ってそういうところがあるからさ。

中村:そうそう。昔から原田くんて、愛されたがりだよね。

原田:そうなんだよ。四人いたら四人に好かれたい。三人しか振り向いてくれないと拗ねちゃうんだよ。だから、ふたりでいいじゃないかと言われた時は、ホッとした。

中村:その愛されたがりが、鬱に関係あるのかな。

原田:そうかもしれない。

中村:じゃあ、自分が嫌いな人にもサービスしちゃうの?私はさ、嫌いなヤツに会うと好戦的になっちゃうんだよ。「ちょっと、あんたさー」って感じに。

原田:そのほうが、病気だよー。

中村:そうかなぁ。

原田:じゃ、お前に教えてやるよ、嫌いなヤツの対処法。以前、鷺沢萠さんに聞いたんだけど、友達を介してある人と三人で会ったんだって。そしたら、そいつが嫌なヤツで、もう途中で頭にきたんだけど、友達の友達だから何も言えないじゃん。それで、そいつが帰った後に「ホント、嫌なヤツね」と怒ったら、その友達がちょっと霊能力とかあって前世とか見える人でさ、「ごめんなさいね。あの人、人間やるの初めてなのよ。だから許してやって」と言うんだって。

中村:ハハハハ。ひでぇ〜!

原田:それまでずっと虫とか動物で、人間をやるのは今回が初めて。

中村:だから人間の常識がわからないんだ。そりゃ仕方ない、と。

原田:そう考えると、嫌なヤツも許せるだろ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ユーモアにあふれたエッセイを書いている原田さんは、近年躁鬱病に悩まされており、病気についての書かれた著書もあるのです。
 この対談を読んでいて、僕には原田さんが言われている「四人いたら四人に好かれたい」という気持ち、なんとなくわかるような気がしました。僕も「愛されたがり」なのだろうか。
 客観的にみれば「四人のうち半分の二人に好かれたら十分」です。いや、四人のうち一人でも、悪くはないかもしれない。「好かれる」というのは、それだけ難しいことだと思うから。
 でも、原田さんも僕も、そんなことは「理屈ではわかっている」んですよね。それでも、「自分を好きでいてくれる二人」よりも「自分を嫌っている二人」のほうに、つい意識がいってしまうのです。
 どうして、この二人の人は、僕のことを好きになってくれないのだろう?とその理由を考えて思い悩んでしまいます。
 
 全く同じ状況でも、「半分の人に好かれているからいいや」と、自分を好んでくれる人のほうを向いて、自分を嫌う人のことは意識の外に置いてしまうことができれば、だいぶラクになるというのは、「わかりきったこと」なんですけどねえ。
 わかりきっているのに、そういう「発想法」みたいなものって、テレビのスイッチを切り替えるようにすぐに変えられるものではなくて、そしてまた「そんなことにくよくよしてしまう自分」に落ちこんでみたり。
 「愛されたい」というよりは、「嫌われたくない」という感情に近い気もします。

 それにしても、この「嫌いなヤツの対処法」というのは強烈です。「人間じゃなかったんだから、しょうがないよな」というのは、ものすごく相手をバカにしているような、あきらめてしまっているような。
 とはいえ、考えてみれば、「嫌いなら、わざわざそんな相手に対処しようとせずに、『無視』するか『嫌なヤツ』ということでスポイルしてしまえばいいんじゃないのかな?」という気もするのです。わざわざ「許そう」としなくても。
 そういうときに「お前が100%悪い!」と決めつけることができない「優しさ」とか「自信の無さ」が、こういう「対処法」に反映されているのかもしれませんね。
 
 鷺沢萠さんも、豪快な人間を演じながら、「愛されたがり」の自分を持て余していたのだろうか……