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2004年09月28日(火) ■ |
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『サザエさん』は愉快じゃない! |
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「知識人99人の死に方」(荒俣宏監修・角川文庫)より。
(「サザエさん」の作者、漫画家・長谷川町子さんのエピソードの中から)
【長谷川は佐賀県生まれの福岡育ち。父親の死後、一家で上京し、山脇高等女学校に通いながら、『のらくろ』で有名な田河水泡の弟子となる。『サザエさん』をはじめ、『いじわるばあさん』『エプロンおばさん』など、一貫して庶民の生活に根ざした笑いを描き続けた。しかし、その産みの苦しみは想像を絶するものだったらしい。 昭和57年、紫綬褒章を受章した際のインタビューで、「新作はいつか?」との問いに対して、きっぱりと「もう描くつもりはない」と答えている。 「ファンの方から描けという手紙をいただくし、よくわかるんですが。私は、やっぱり健康でいたいし、自分で生命を縮めるようなことはしたくないですし……」(サンデー毎日S57・11・21) それでもエッセイふうのマンがなどはときおり発表することもあり、昭和62年3月22日、朝日新聞に掲載された『サザエさん旅あるき』が最後の作品となった。】
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長谷川町子さんが心不全で亡くなられたのは平成4年、彼女が72歳のときのことですから、最後の作品は、亡くなられる5年前くらいに発表された、ということになります。「アンパンマン」の作者・やなせたかしさんなどは80代半ばでもまだまだお元気ですし、漫画家には比較的高齢まで活躍される方が多く、作風からは「無頼派」には見えない長谷川さんが、なくなられる5年前に実質的に「引退」されていたのは、ちょっと意外な気もします。もちろん、どこか体を壊されていた可能性もあるのですが。
僕がこの長谷川さんのインタビューを読んで感じたことは、表現者にとって、作品の内容というのは、作家の心理状態と必ずしもシンクロしているものではないのだなあ、ということでした。 「サザエさん」は、印象としては平和かつ軽いタッチの作品で、「思いついたことをサラサラと描いている」ような感じだったのに、ここまで作者が「命を削って」描いているなんて、想像もしていませんでした。 「サザエさん」という作品自体は、アニメより漫画版のほうが「毒がある」のは事実とはいえ、世間には、もっと文字通り「命を削って描かれたような私小説」がゴロゴロしています。しかしながら、作中で「死」とかについて深刻に語っているような小説家の大部分よりも、「軽い庶民派の笑い」を描き続けてきたはずの長谷川さんのほうが、より自分の作品に対して真摯に取り組んでいたというのは、なんだか「表現者の根源的な矛盾」のわかりやすい一例のようで興味深いのです。 きっと、「サザエさんらしい世界観」を守りつつ、マンネリになりすぎないように描き続けていくということは、非常に辛いことだったんでしょうね。 「ドーランの 下に涙の 喜劇人」(ポール牧) こんな言葉をつい思い出してしまいもするのです。
「深刻そうなことを言っている人間だけが、真剣に生きているわけではなくて、むしろバカみたいなことばかり言っているような人のほうが、「深刻さを超えて」いたりするんですよね、きっと。 ♪サザエさん サザエさん サザエさんはゆかいだな〜
というテーマを聴きながら、長谷川さんはひとり、「私以外の人にとってはね…」と、心の中で呟いていたのだろうか?
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