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2004年09月18日(土)
メジャーリーグの観客に学ぶべきこと

「いつもひとりで」(阿川佐和子著・文春文庫)より。

(阿川さんが、アメリカ・アトランタのフルトンスタジアムにベースボール観戦に行ったときのこと)

【ふと気がつくと、その少年たちが一様にグローブを持っている。最初は、自分のグローブにサインをしてもらうために持ってきたのだろうと思った。が、違うのだ。サインを求めない子供も、いや、大の大人までもがグローブを持って座っている。
 その理由は試合が始まってすぐにわかった。彼らは客席に流れてくるファウルボールやホームランボールをキャッチするために、グローブを持参してきていたのだ。むしろ、それが目的ではないかと思われるほど、ボールキャッチに燃えている。客席にボールが飛んでくると、そのボールの落下方向に向かって大きな人間ウエーブが起こる。日本ではボールから逃げようというウエーブが起こるのと正反対だ。
 そして観客の誰かが見事にボールを取ると、試合とは関係なく、その周辺で大拍手が起こる。取ったボールは返却不要。みんなお持ち帰りである。だから必死なのだろうが、その楽しそうな様子は、端で見学しているだけでウキウキしてくる。
 そんなわけだから観客にとって、当然、ネットは邪魔である。危険は自らが察知する。そのためにも試合展開を熱心に観戦する。常にボールがどこへ飛んでいるかを知ることは、試合をよりおもしろく見るためであり、また自分もその試合に参加するためであり、さらに、安全のためでもあるのだ。
 ときおりそよ風に乗って聞こえてくるピーナッツ売りやビール売り、綿菓子売りのかけ声が絶妙なハーモニーを作って耳に心地よい。楽しい緊張感と、のどかなムードのなかで、選手とお客の距離は近く、自由に観戦できる野球の試合は、さながら草野球のようである。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕は日本の野球に慣れ親しんでいることもあって、「無条件にメジャー万歳!」という心境にはなれませんし、「1点に、勝負にこだわる細かい日本野球」にだって、素晴らしい点はたくさんあるとは思っているのです。やっぱり、知っている選手が多いほうが、観ていて楽しい、というのはありますしね。
 でも、こうしてメジャーリーグの球場の風景を思い浮かべてみると、やはり長い「ベースボールの歴史」を有する国には、かなわないところもあるよなあ、と考えてしまうのです。
 日本の球場にもグローブを持ってきている子供たちはいるのですが、確かに少数派。交通事情もあって荷物になるグローブを持ってくるのは難しいだろうし。
 そもそも、冷静に考えれば、「野球観戦にグローブを持ってきて、ホームランボールやファウルボールをキャッチできる可能性」というのは、どのくらいのものなのでしょうか?スタンドに入るボール(ホームランボール、ファウルボールを含む)が一試合に100球だとしたら、5万人が入る球場ならば、キャッチできる可能性は、500人にひとり、ということになりますね。おそらく、実際はそんなに多くは飛んでこないだろうと思うのですが。
 このくらいの「キャッチできる確率」のためにグローブを持ってくるというのは、僕の感覚では「ムダなんじゃないかな?」という気もするんですよね。人気チームの試合なら、「500試合観に行って1回あるかどうか、という確率なのですから。
 それにしても、アメリカ人のイベントに対する楽しみかたは、本当に「参加型」なのだなあ、と思います。以前、ラスベガスのショーを観に行ったときのことです。そこではショーが始まる前に、場内の大きなスクリーンに客席の様子が映されるのですが、その画面に映っている人たちは、何か面白いポーズをとってみたり、ちょっとしたモノマネをやってみたりと、「観客なのに、カメラを向けられる」という状況に、全然違和感を持っていませんでした。
 僕などは、内心、「なんで客なのに、そんなパフォーマンスを他の人の前でやらなければならないんだ…」と、自分の順番になる前に、なんとかショーが始まってくれることを心から祈っていたんですけど。
 もちろん、すべてのアメリカ人がパフォーマーではないにしても、そういう「ステージと客席の境界」みたいな意識が、日本とは根本的に違うのだなあ、というのを感じたのです。
 
 もうひとつ、考えたこと。
 僕たちは、野球の「勝敗」に対して、あまりにこだわりすぎているのかもしれません。贔屓のチームが勝つにこしたことはありませんが、ともすれば、「野球観戦」のはずが、試合を観るより応援にばかり熱が入ってしまっていることが多いような気がします。
 「とにかく勝てばいい」というのは一面の真実ではありますが、せっかくのプロの試合なら、勝ち負けと同時に、一挙手一投足に対して、「こんな速い球を投げるのか!」とか「こんなにボールを遠くに飛ばせるんだ!」というような、根源的な「凄さ」を素直に感じてみてもいいんじゃないかな、と思うのです。それも、敵味方関係なく。
 実は「勝つことばかりを重視するファン」というのが、「史上最強打線」とかいう「大鑑巨砲主義」の元凶になってしまっているのではないでしょうか。そして、「某金満球団が選手を狩り集めている」のも事実であるけれども、そういうのって、「日本の野球ファンの多くが望んでいるチーム編成を金があるから実現できているだけ」なんですよね。
 まあ、メジャーリーグにだって、ヤンキースというお手本があるわけで、日本だけに限ったことではないようですけど。

 もっと「野球」というスポーツそのものを楽しむという付き合い方ができるようになればいいなあ、と僕は思います。
 贔屓のチームが勝っただけで自分が偉くなったような態度をとる「野球ファン」よりも、取れるはずもないボールを取るために、グローブ持参で球場に来る子供たちのほうが、よっぽど「野球をよく知っている」。そんな気がしてなりません。