初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2004年09月10日(金)
「とんでもなく安いもの」にばかり、頼るのは止めよう。

「ゴーマニズム宣言EXTRA1」(小林よしのり著・幻冬舎)より。

(「湯布院」を日本有数の人気観光地にした功労者のひとり、中谷健太郎さんの著書から、小林さんが引用された文章です。)

【中谷氏は、こう書いている。
「どこかに安くて、とんでもなくいいものがあるから、それを仕入れてきて売れば、それで経済が伸びていくっていうような、考えももう止めたいのです。少なくともそれらに頼り切ってしまうことは止めたい。
 それを止めないと子どもたちに残すものが何もなくなる、そう思っています。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「安さ」には、それなりの理由があります。
 もちろん、売り手の良心だったり、お客を呼び寄せたいという計算だったり、薄利でもたくさん売れれば儲かるという読みだったりするのかもしれませんが、その一方で、そのものの質や安全性に問題がある可能性だって否定はできません。
 それでも、やっぱり「安さ」っていうのは、ひとつの魅力ではありますよね。お金だって節約するにこしたことはないし、同じものでも情報力で安く買うのは、そのプロセス自体がけっこう楽しかったりしますしね。
 実際には、「そんな安いスタンドにわざわざ行くまでの時間で、トクしたつもりの金額くらいのガソリンは、余計に使っちゃったんじゃないの?とか、言いたくなることもあるわけですが。

 中谷さんが書かれている「どこかにある、安くてとんでもなくいいもの」というのは、一概に幻想だとばかりは言い切れなかったところもあるのです。
 今までの世界では、経済格差によって、安い金額で他国から品物を輸入したり、現地生産を行ったり、あるいは、大量生産によるコストダウンを徹底して「安いもの」を生み出してきました。
 でも、そういうシステム自体が、そろそろ限界なのではないかなあ、と僕は最近思うのです。
 そうやって「格差」を利用すればするほど、その「格差」は埋まっていく、あるいはもう埋まってしまっているような気がするのです。

 30過ぎてから、コンビニ弁当やファーストフードが続くのにも飽きてきたし、正直、食事をするということに、「栄養補給」以外の喜びを感じることが少なくなってきたような気がしてなりません。
 もちろん「安いもの」を否定するつもりはありませんし、それによって助かっている人間は、僕も含めて少なくないでしょう。
 ただ、だからといって、「安全性」を無視して「安さ」のほうだけ重視するのは、やっぱり危険な兆候だと思うのです。
 「安いもの」がある一方で、「安くはないけれど、美味しくて安全なもの」も選択できるのが、本来の姿のはずです。
 僕は自分の子どもにどんなものを食べさせたいだろうか?と考えたときに、そこに思い浮かぶのは、やっぱり某チェーン店のハンバーガーではないんですよね。おそらく子どもは食べたがるだろうし、「絶対にダメ!」と言うつもりもないですが、少なくともそんなに頻繁には食べさせたくない。

 アメリカとの折衝で、近い将来にアメリカ産牛肉の輸入が再開されそうな情勢です。BSE検査については、「検査の効果に疑問がある、若い牛を除いて実施する」という方向で。
 しかしながら、BSE検査に一頭当たりどのくらいのコストがかかるかわかりませんが、それで肉が値上がりすることがあっても、僕は全頭検査をしてもらいたいと考えているのです。
 もしそれが「コストに見合わない、経済的に意味のない検査」だとしても、少しくらい値上がりしても構わないから。
 僕は、某大手牛丼チェーン店の偉い人が、輸入停止早々に「全頭検査は無意味だから、早く輸入を再開してもらいたい」なんてキャンペーンを張っているのをみて、「この人は、どこを向いて食べ物を売っているのだろうか?」「自分たちが売っているものの安全性に、多少なりとも不安を感じたりしないのだろうか?」と疑問に思いました。
 企業にとって死活問題なのはわかります。でも、だからといって、他人の口に入るものに対して、そんなに過信ばかりしていてもいいのでしょうか?

 プリオンの発見者であるプルシナー教授は、現時点では、「私は現在、米国では牛肉を食べない。食べるならきちんと全頭検査している日本でのみ食べる。日本の全頭検査は正しい」と断言されているそうです。
 実のところ、「全頭検査の非科学性」以前に、「プリオン」というものの正体すら、すべてわかっているわけではないのだから、「やれることはやっておく」という姿勢は、多少コストがかかっても、間違ったものではないような気がするのです。

 ただ、僕はこんなことも考えます。偽装表示が横行していているようなこんな時代じゃ、「高いから安全」だとも言えないよな、って。
 「どうせみんな危ないなら、安いほうがいいや」というのも、悲しい真実なのかもしれませんね。