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2004年09月07日(火)
歴史の証人としての「フロッピー・ディスク」

「IT media」の記事「『過去の遺物』になるフロッピー」より。

【一部には、フロッピーに満足しているからというだけの理由だけで、捨てるのをためらう人もいると、米大手コンピュータ小売業者Vision Computersのタルン・バクタ社長は語る。
 バクタ氏の店では、基本的なコンピュータモデルに必要な装備をすべて付けているが、フロッピードライブは付けていない。
 「フロッピードライブが欲しいと言う人がいると、私はこう尋ねる。『最後にいつフロッピーを使いましたか?』と。多くの場合、『全然使っていない』という答えが返ってくる」(同氏)
 しかし、日常的にコンピュータを使う多数の普通のユーザーは、フロッピーが消えることを望んでいない。
 「私の子供にとっては、(フロッピーによって)学校でも家でも課題ができる。フロッピーはとてもいいアイデアだと思う」と買い物に来たマーク・オードウェイさんは話す。
 「私と夫が簡単に使えるものが欲しいだけ」と話すのは、パット・ブレイズデルさん。
 CD-RWやキーチェーンフラッシュメモリデバイスなど、フロッピーディスクに代わるものは幾つかある。いずれもフロッピーよりも大量のデータを格納でき、壊れにくい。
 それでも、フロッピーは1970年代から存在しており、人々はフロッピーに慣れている。今も出回っている最も古いリムーバブルストレージだ。】

参考リンク:「フロッピーディスク」(ウィキペディア)

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 「最近フロッピーを使ったことがありますか?」その質問を聞いて、僕はちょっと考え込んでしまいました。確かな記憶では、おそらく2年以上は使っていないと思います。
 職場にはフロッピーディスクもまだありますし、取り扱うのが画像のない文章のみであれば、現在でもフロッピーディスクでほとんどの仕事は事足りるのかもしれません。それでも、実際にフラッシュメモリを使うのに慣れてしまうと、フロッピーを使う機会というのはほとんどありません。
 そういえば、昔記録したデータはどうなっているんだろう?なんて心配にもなるのですが、考えてみれば3年くらい思い出さなかったものをこれからあらためて使う機会があるのかどうか、甚だ疑問でもあります。

 それにしても、フロッピーディスクというのは、僕にとっては感傷的な気分にさせられるメディアなんですよね。
 僕がはじめてパソコン(当時は「マイコン」と言っていましたが)を手に入れた20年前には、パソコンの記憶媒体は、カセットテープが主流で、フロッピーディスクは一部のマニアしか持っていないような「高嶺の花」だったのです。実際、ディスクドライブだけで10万円とかいう時代でしたし。
 僕は、一瞬でロードが終わってゲームが始まるというフロッピーディスクに憧れながら、カッタンカッタンとのどかに読み込まれるカセットテープの音を聞きつつ、ゲームの読み込みが終わるのを真っ暗な画面を見つめながら待っていたものでした。
 容量の関係もあって、フロッピーディスクのゲームには超大作(もちろん、当時の感覚ですが)も多くて「いつか、このフロッピー専用のゲームで遊んでみたいものだなあ」なんて、雑誌の紹介記事を穴が開くほど見つめていました。

 はじめてフロッピーディスク付きのコンピューターを手に入れたのは高校生のとき。その読み込みの早さは、まさに感動的なものでした。今までの「カッタンカッタン」が「カタタン」という短い音とともに次の場面に切り替わるのですから、それはもう嬉しくって。
 そして、フロッピーディスクというのは、カセットテープとは違って「パソコン(もしくはワープロ)でしか使われないメディア」でしたから、なんとなく「特別なもの」というイメージもあったんですよね。
 当時のフロッピーは320キロバイトでしたから(ちなみに、1000キロバイトが1メガバイト。CD−ROMの主流は640メガバイト)、今から考えたら、「圧縮しないと、デジカメの画像1枚分ですら入らないくらいの容量」だったんですけどねえ。

 昔のペラペラの5インチフロッピーよりも、はるかにコンパクトで大容量にはなりましたが、それでも現在の大容量化には逆らえないでしょうし、フロッピーディスクにとっては、その長い歴史の終点が近づいているのでしょう。
 でも、僕にとっての「コンピューターの歴史」は、フロッピーディスクとともにあったような気がするのです。
 あの「フロッピーディスクが読み込まれる音」には、「何か新しいことがはじまる期待感」が、たくさんつまっていたのです。
 「コンピューターが夢だった時代」も、すでに「過去の遺物」となりつつあるのかもしれませんね。