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2004年09月06日(月)
お父さんは霊感症!

「ファミコン通信・2004/9/17号」の記事「新作ゲームクロスレビュー」の菅谷あゆむさんのコメントより。

【家族で幽霊の話をしていたとき、父が突如「じつはお父さんには霊が見える」と言い出した。「家にはよく女性の霊が出入りしていて、決まってあの時計のあたりにいる」。それを聞いた誰もが驚愕。母も「何十年もいっしょにいたけど初めて聞いた」と困惑の表情を浮かべた。】

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 父親の衝撃の告白!ということなのですが、この「霊が見える」という話っていうのは、なんともリアクションが難しいところです。「見える人」が「あっ、そこそこ、そこに霊が!」と言ったところで、「見えない人」は、同じところを見ても何も見えないわけですから。
 「突然そんなこと言われてもねえ…」っていうお母さんの困惑、わかるなあ。
 僕自身には、いわゆる「霊感」はまったくありませんし、「霊の存在を信じるか?」という問いに対しては、「とりあえず、先人の伝統と遺志は尊重したいけど、それと「霊」というものとは別だろう、と思うのです。
 そもそも「霊」って、あまりロクなことをしないという印象もありますしね。
 「ここに霊がいます」と霊能者が言っている場所は、いかにも「出そうな場所」ばかりで、プロなら「ごく日常的な場所」にいる霊をむしろ見つけてほしいなあ、なんていう気もします。
 しかし、考えてみれば、「本当に霊が見える人」にとっては、僕みたいな疑り深い人間は「自分は見ることができないから」という理由で信じてくれないのだから、「他人が見えないものが見える」というのは、けっこう辛いことなのかもしれません。「シックス・センス」という映画に出てきた「死者が見える子供」のように。
 「自分が見えないものが、他人には見える」というのと同じか、それ以上に辛い立場なときもあるはずで。
 
 万が一、日頃相手にしてもらえないお父さんが家族の注目を集めようと、「霊が見える!」と言っていたとすれば、それは、「本当に霊が見えること以上の悲劇」なんでしょうけどね。