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2004年09月04日(土) ■ |
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なんで日本人は英語がうまく勉強できないの? |
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「ダーリンは外国人」(小栗左多里著・メディアファクトリー)より。
(著者の小栗さんと夫のトニーさんが「どうして日本人は英語がうまく勉強できないのか?」について考えたこと)
【小栗:なんで日本人は英語がうまく勉強できないんだと思う?
トニー:たぶん…ひとつは完璧主義だから。
<トニーの主張> 例えば外国語で本を読むとき、日本人の多くは1ページを100%理解してからでないと、次のページに進めないと考えます。 でも、そうすると、いつまでたっても次のページには行けません。 「100%の理解」なんて、ネイティヴだってしてるのかどうか。 ある程度で先に進みましょう。
小栗:あと「間違えて恥をかきたくない」っていうのもあるよね。発音に自信ないし。
トニー:「失敗するのがイヤだから話さない」これも大きな間違い!! 「失敗」とは何か?恥ずかしがって少ししかしゃべらなかったら、意味が間違って伝わるかも知れない。それこそが「失敗」なのでは?
(例)「地球儀」という言葉がわからない
「地球儀」を説明するために 「地図のような…」 「世界中の国が見られる…」 「ボールみたいな…」
↑の言葉が多いほど伝わるわけだから、《いっぱい話す=失敗の確率が高まる》というワケではない。
トニー:いっぱい話すことこそ、発音の悪さをカバーできることだと思いますよ。
小栗:「日本人は英語がニガテである」刷りこまれてしまったこの先入観を自ら乗り越えるのが第一歩って感じでしょーか】
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「日本人は英語が苦手な理由」について、あらためて、こうして日常的に英語に接している人の言葉を聞くと、なるほどなあ、と感じてしまいます。 僕も英語は苦手で、いつも苦労が絶えないのですが、「全部理解しようと意識過剰になりすぎて、結局時間ばかりが過ぎていき、「もう間に合わない…」と途中で投げ出してしまう、なんてことは、けっこうありますし。 確かに、母国語であるはずの日本語の文学作品や論文でも、本当にその内容を100%理解しているか?と問われたら、けっこうニュアンスだけ汲み取って流してしまっている部分もあるような気がします。そう、自分の国の言葉」でさえ理解しているわけでもないのに、外国語だから完璧に理解していなければならない、というのは、とてもおかしな話なんですよね。 ただ、実際に自分で読んでいると、「理解不能なところが、実は重要な部分なのではないか?」という疑心暗鬼にとらわれることも多いので、やっぱり「必要なところを見極める」には、ある程度の慣れは必要でしょうけど。
そして、「いっぱい話すこと」のメリットというのも、当たり前のことなのに、新鮮かつ納得できる説明だと思います。 「単語さえわかれば、観光レベルならそんなに外国でも困らない」というのはよく言われることですが、「その単語がわからない」という状況では、昔テレビでやっていた「連想ゲーム」みたいに、「ヒントが多ければ多いほど、正解に近づく」というのは、当たり前のことですよね。 あるいは、何かを説明するときにも、ひとつの方法だけでは正反対の内容になってしまったり、大きな間違いを招くことがあるかもしれませんが、断片的なものでも情報をなるべく多く提供しておけば、どれか一つや二つが全然違っていても、「全体としては、まあ及第点」の情報になるわけです。 ひとりの人間について「どんな人ですか?」と誰かひとりにだけ尋ねれば、その聞いた相手の好感度に大きく左右されてしまうのに比べて、大勢の人にインタビューすれば、「ちょっと曖昧になってしまう面はあるけれど、概略としては間違っていない人物像」がイメージできるのと同じことです。
そう、たくさん話すことによって高まるのは、「コミュニケーションが失敗する確率」ではなくて、「自分が変な英語を喋ってしまって、恥をかく確率」なんですよね。 客観的にみれば、僕だって外国の人の「ヘンな日本語」を聞いても、一生懸命に喋ろうとしている相手に共感しこそすれ軽蔑なんてしないし、そういうのは、おそらく万国共通だと思うのだけど(もちろん、そうでない人もいるでしょうが)。 それでも、やっぱり「ヘンなこと言ったら恥ずかしい」っていう気持ちは、なかなか払拭でき無いのも事実なのです。 こういう「自意識過剰」こそが、英語習得の最大の壁なのかもしれませんね。とくに英語の場合「デキル社会人は、使えて当然!」みたいな風潮もありますし。 僕も英会話教室に通おうと以前から考えているんですが、普通の習い事とは違った「敷居の高さ」みたいなのを感じていた理由が、なんとなくわかったような気がします。 ピアノが弾けないからピアノ教室に行くのって、そんなに照れたり恥ずかしくなったりしないのに、英会話教室でヘタな英語を喋るのって、講師の先生とか周りの生徒たちにバカにされるんじゃないかな、とか思い込んでいたのかもしれません。 向こうからしてみれば、「喋れない人が来る」のが、あたりまえのはずなのに。
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