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2004年09月03日(金) ■ |
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「究極の前向き」における「競争心の必要性」 |
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「週刊アスキー・2004.8.31号」の対談記事「進藤晶子の『え、それってどういうこと?』」より。
(モノマネ界のパイオニア、コロッケさんとの対談の一節です)
【進藤:究極の前向き、コロッケさん流、前向きでいられるコツを教えていただけませんか?
コロッケ:いつも自分で思っていることは、人に対して競争心をもたないということかな。焦ってやってもいいことないし、引いて見ることによって、視野も広くなりますしね。
進藤:染みる言葉ですね。
コロッケ:負けたくないって気持ちをもっていた時期もあったんですけど、でもこの社会ってスポーツみたいにサラッとした戦いにはどうしてもならないんですよ。けっこうドロドロしているんで。「やった、アイツより上にあがったよ」みたいな、いやらしい気持ちになるなら、競争心ってもたないほうがいいんじゃないか。お互いにアドバイスし合えたりする間柄での競争心ならいいんですが、相手を蹴落としたり、憎んだりしなきゃいけないのはね。】
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「競争心」という言葉にもさまざまな解釈があるわけで。 ここでコロッケさんが語られていることで大事なのは、「人に対して」競争心を持たない、ということだと僕は思うのです。 「競争は良くない」という「平等精神」のもとに、小学校の運動会はみんな同時にゴールするようになったり、競技の勝ち負けを決めなくなったりしているそうです。そういう風潮というのは、確かに「平等の精神」を植えつけているのではないかという気もしますが、その一方で、「努力してもしなくても一緒」という発想は、子供たちが生きていくうえで、必ずしもプラスにばかりは働かないでしょう。 やっぱり、石にかじりついても踏ん張らないといけないときっていうのは、生きていれば必ずありますから。
【(芸能界は)スポーツの世界みたいにサラッとしていない】とコロッケさんは言われていますが、実際はスポーツの世界だって、ドーピング問題や代表選考のイザコザなど、「サラッとしていない面」もあるのだと思いますけど。 僕は、アテネオリンピックのハンマー投げでアヌシュ選手のドーピングによる失格の結果金メダルに輝いた室伏選手に対して「さて、室伏選手は本当に嬉しいのだろうか?」と感じていたのです。 もちろん、ドーピングはスポーツの根源にかかわる問題だし、薬物の力で出した記録には、記録としての「意味」はないでしょう。 でも、「目の前で自分より30cmも遠くにハンマーを投げた選手がいる」という現実に対して、室伏選手にいくばくかの「心残り」が無かったというのは嘘になるのではないかな、と。
しかしながら、室伏選手の言動を観ていると、彼がものすごく平静に見えることに僕は驚くばかりなのです。 御本人も仰っていましたが、室伏選手にとっては、金メダルよりも、もっと大事なことがあったのでしょうね。 彼にとっては、「ハンマーをより遠くに投げる」ということが目的で、メダルというのは、その付加価値でしかなかったのかもしれません。 自分は、できるかぎりハンマーを遠くに投げる。自分より遠くに投げる人がいるかどうかは、あくまでも結果に過ぎない。
言い尽くされたことではありますが、他人と競争するというのは、対象が見えやすい反面、自分の立ち位置を相対的にしか判断できないという弱点があります。相手を弱くするというのも、「手段のひとつ」なのですから。 でも、高校生の受験勉強ならともかく、ただでさえ自分の立っている場所がわかりにくい大人にとっては、「他人と競争しないで、自分のペースで自分のゴールを目指す」というのは大事なことかもしれません。 他人に勝とうとするあまり、本来の自分には合っていない「ゴール」を目指してしまって、ゴールにたどり着いたものの「なにかが違う…」と悩み続けている人は、けっして少なくないようですし。
それにしても、芸能界というのは「上」とか「下」にこだわりがある人が多い場所みたいですね。 以前にやっていた、あの「芸能人格付けランキング」っていう企画、芸能人にとっては、本当に「シャレになってなかった」のかも。
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