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2004年08月21日(土)
オリンピック中継に対する大先輩からの妙な苦言

毎日新聞の記事より。

【高視聴率を続ける五輪放送。各局は有名アナウンサーを起用しているが、元NHKの鈴木健二氏(75)が20日、後輩たちをしかった。福島県郡山市で開かれた読書フォーラムでの一幕。鈴木氏は「文意をつかまず文字だけ読んでいる」と苦言を呈した。選手の言葉にも「言葉が一律で薄っぺらい」と指摘した。】

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 オリンピック中継も、大先輩アナウンサーからみると、こんな感じなのかなあ、なんて思いました。僕はむしろ「文字すら読んでないんじゃない?」と感じる場面も多いんだけど。
 日本選手団の絶好調で前半を終わろうとしているオリンピック、日本の放送だからやむをえないにしても、日本贔屓を通り越して、アナウンサーが単に日本選手を応援しているだけ、というような中継がけっこう目立つような気がするのです。某プロ野球チームの中継と違って、視聴者もみんな日本ファンだから、あまり問題にならないのかもしれませんが。
 それにしても、柔道中継で、解説者の人が「行け!頑張れ!やったーー!!」とか叫んでいるのを耳にするたびに、気持ちはわかるけど、応援は応援席でやればいいのに、とか思ってしまうのです。それが「解説」なのか?って。
 もちろん、自分の知り合いの選手にはエールを送りたくなるんでしょうが、それにしても「試合を観ていたら、思わず声が出た」という感じではなくて、最初から確信犯的に「○○ガンバレ!」みたいな姿勢で喋るのは、アナウンサーとか解説者の役割ではないような気もします。

 日頃メジャーではない競技に関しては、オリンピックというのは競技人口を増やすいい機会ですし、「ガンバレ!」という応援演説ではなくて、その技をきめるには、どういうプロセスが必要なのか、とか、この競技の難しいポイント、差が付くところはどこなのか、というような競技そのものに興味を持てるような解説をしてもらいたいなあ、と思うのです。
 僕は弓道をやっていたのですが、アーチェリーで銀メダルを獲った山本選手の決勝をテレビで観ながら、あの照準を決める機械の存在意義だとか、ああやって的の中心を射続けることがいかに難しいか、少し狙いがブレただけで、どれだけ的の中心から外れるのか、そういうことについて(マイナー競技だから、中継時間そのものが短い、という制約があるにせよ)、こういう機会に解説してくれればいいのになあ、と感じました。
 せっかくの世界最高レベルの競争が「当たった、外れた」「勝った、負けた」だけで語られてしまうのは、ちょっと寂しくもあるんですよね。
 景気づけには、「応援放送」も必要なのでしょうし、煽りマイクが視聴者のニーズなのかもしれませんが、もう少しトーンを抑えて、試合の内容を忠実に実況することを考えてもいいのではないかなあ。人を感動させるのは、「ゴーーーーーーール」とかいう狙いすました言葉ではなくて、選手たちの技術と精神力によって生み出されたゴールシーン、そのものなのだから。

 あの「前畑がんばれ!」という実況が有名になったのは、あれを喋っていたアナウンサーが、「公正な中継をやらなくてはならない決まりなのに、デッドヒートにわれを忘れて『がんばれ!』という言葉が口をついて出てしまったから、なのです。
 始末書の心配も覚悟もなく、ただ「応援してるだけ中継」って、やっぱりプロの仕事としては疑問が残ります。
 アナウンサーたちも個人個人としては、みんな一生懸命やっている、とは思うのだけれど。

 あと、「選手の言葉が薄っぺらい」なんてのは、余計なお世話です。
 彼らは、「気の利いたことを喋る」よりもはるかに説得力のある方法で、もう表現しているんだからさ。