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2004年08月22日(日) ■ |
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「ちっちゃい女の子」に生まれて |
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「150cmライフ。」(たかぎなおこ著・メディアファクトリー)より。
【この本を書くまで私は、身長150cmってことを深く考えたことがなかったのだけど、よくよく考えてみれば「こういうことによく困っているよね。」とか「こういうことって当たり前かと思ってたけど、普通の人はそうじゃないんだ。」とか、いろんなことに気付かされました。 あとけっこう驚いたのが、身の回りのちっちゃい仲間たちにいろいろ話を聞いてみると、みんなけっこう同じ経験をしていたり、同じ不満があったり、同じことを考えていたりしていたことです。 反対に、身長が大きい人に話を聞いてみたら、大きい人には大きい人なりの、私には考えられない悩みがあったということ。映画館などで座るときには後ろの席の人に気をつかい、彼氏と歩くときはヒールの低い靴をはくように心がけ、酔い潰れてもおんぶしてもらえないから飲み過ぎないように注意し、服のサイズが大きすぎたら小さく直せばいいけど、小さすぎるのはどうすればいいんだよ?!などなど。 背が大きい人には大きい人なりの悩みがあるらしい……。】
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♪金もいらなきゃ女もいらぬ、わたしゃも少し背がほしい〜 というのは、玉川カルテットの有名なネタなのですが、男性としては平均よりやや低め、というくらいの身長の僕も、「もっと背が高かったらなあ」というようなことを中学・高校時代くらいは、よく考えていたものです。 「背」というのは、自分の努力だけではどうしようもないことですし。 背が高いことのメリットとしては、「カッコいいし、モテる(はず!)」「バレーボールやバスケットボールなどのスポーツで有利」くらいで、考えてみたら、スポーツ選手になるつもりじゃなければ、そんなにものすごく良いことばっかりあるわけではなかったんですけどね。 それでも、当時(いわゆる「バブル時代」は、三高(身長・収入・学歴が高い男)というのがもてはやされてもいたわけですし、背が高いっていうのは、それだけで羨ましいことだったのです。 しかしながら、実際に背の高い友人に話を聞いてみると「大きいね〜」なんて言われるのはイヤだ、という人はけっこう多かったような気がします。いわく、「入り口で屈まないと通れす、よく頭をぶつける」とか、ここにもあるような「席に座るときに、周りに気をつかわないといけない」とか、そもそも「席が狭い」なんて問題もあるみたいです。いつも屈んでいなければならないので、猫背になりがち、なんて話もよく聞きます。 「大きい」にせよ、「小さい」にせよ、「他人と違う」というのをいちいち他人に指摘されるのは、あまり良い気分のものではないわけで。 「大きい」なんてのは、言われている側はコンプレックスを刺激されているにもかかわらず、言っている側は褒め言葉だと思いこんでいることがけっこう多いのだろうし。 それでもやっぱり、多少日常生活に不自由があるとしても「背の高さ」というのには、憧れてしまいます。
たかぎさんの目から見た「身長150cmの世界」というのは、「背が低いというのは、けっこうたいへんなのだなあ」と読んでいて感じさせられます。残念ながら世界というのは「平均的な人々」を基準につくられている場合が多いので、満員電車でオジサンたちに埋もれてしまったり、網棚に手が届かなかったり。子供扱いされてしまうこともあるみたいですし。
ところで、男からみると「背の低い女の子」というのは、むしろ「ちっちゃくてカワイイ」という目で見る人が多いのです。 そんなの差別だ!という向きも当然おありでしょうが、女の子が「背が高い男」を好む場合が多いのと同じように。 それも、けっこう背が高い男性ほど、「ちっちゃい女の子」を好む傾向が強いような気がするので、お互いのコンプレックスが反映されているのかもしれません。「背があまり高くない男」からすれば、「そうかよ、みんな背が高いほうがいいって言うんなら、オレはどうすればいいんだよ!」とか思ってみたりもするみたいですが。
まあ、僕みたいな「普通サイズ」というのも、「なんだかみんなと一緒で個性がなくてイヤだなあ」なんて考えたりもするので、結局、こういうものに「完璧」なんてありえないのかもしれませんけどね。
でも、やっぱり「わたしゃも少し背もほしい」なあ…
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