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2004年08月19日(木) ■ |
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「顔のないホームページ」と「情報公開幻想」 |
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京都新聞の記事より。
【京滋など全国の小学校のインターネットホームページ(HP)から児童の「顔」が次々と消えている。個人が特定できないよう写真にモザイクを施したり、顔が出ていないか各校の更新を逐一チェックする教委も。教委や校長は、個人情報保護や児童の安全確保の観点から必要とするが、現場の教員らからは「学校の主役である児童を登場させられないなんて」と戸惑いの声も聞かれる。 京都市立の178小学校はいずれもHPを公開しているが、明確に顔を判別できるケースはゼロ。遠景写真や後ろ姿の撮影で顔を見えにくくしたり、画像サイズを小さくするほか、写真全体をぼかしたり、アップの顔にモザイクをかけている学校もある。 同市教委の情報化推進総合センターは、写真を安易に掲載しない−などとした「HP作成・活用ガイドライン」を1998年に策定。昨年10月には「アングルの工夫や加工により個人が特定できないものにする」などとさらに厳格化した。 同センターは担当職員を置き、各校がページを更新する際に内容をすべてチェック。改善指導にも及んでいる。 こういった措置について、京都市内のある校長は「個人情報保護に加え、児童が犯罪に巻き込まれないためには当然」とみる。一方、別の学校の情報担当教員は「神経質になりすぎでは。生き生きした子どもの写真を使ってこそ、情報発信になる」と困惑する。 ■森毅京都大名誉教授の話 開かれた学校づくりと個人情報の保護はもともと矛盾した命題で、それを教委などが一律に規制するのは事なかれ主義。モザイクなどの処理は、受け手にかえって悪いイメージを持たれ、良くない。】
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【開かれた学校づくりと個人情報の保護はもともと矛盾した命題】と森先生はおっしゃっていますが、まさにその通りだと思います。個人サイトでも、あまりに個人情報を公開するのをおそれるあまり、抽象的になりすぎてどんな人が書いているのかわからないと親しみがわきにくいですし、その一方で、「読む人が読んだら一発でわかりそうなのに、こんなこと書いても大丈夫?」と感じてしまうような場合もありますし。 まあ、こういう学校サイトの場合は、写真にうつっている人たちは、本人たちに自覚のないまま無防備にさらされている、というのが問題なわけですけど。 「覚悟の上」であれば、実名でも顔写真でも何でも晒して構わないわけですし、有名人のサイトなどは、情報公開のメリットのほうを優先しているわけです。
しかし、この「顔写真はモザイク」の学校のホームページって、なんだか異様ではありますよね。悪いことでもやっているみたいで。 確かに、過去には「ホームページで写真を見て可愛いと思ったので」なんていうトンデモナイ理由でストーカー行為に及んだ人の話もありますので、まったく的外れな防御策でもないのですが、だからといって、ここまで神経質になるのが正しいのかどうか。 いっそのこと、会員制にしてしまうか、ホームページの公開そのものを止めてしまえばいいのでは?という気もするんですけどね。 そういえば、前に勤めていた病院では「情報公開の一環として、スタッフの顔写真入りのプロフィールをホームページに公開する」という方向で話が進んでいたのです。でも、その途中で、「顔出し」はリスクが高いのではないか?という反論が出て、結局、その話はお流れになりました。僕としては「カッコ悪いから、世間に顔出ししなくてすんで助かった…」というのが本音だったのですが、スタッフの中には「医者だとわかると、子供が狙われたり、妙な勧誘とかが多くなるかもしれない」という反応もあったのです。 おそらく、大多数の患者さんからすれば「顔写真でもあったほうが、親しみを感じる」のではないかとは思うのですが。
とはいえ、正直なところ、情報を発信する側の大多数にとっては「情報公開のメリット」というのは、ほとんどないのです。小学校の生徒たちにしても、患者さんが多少増えても給料には関係なく、セキュリティ上の不安ばかりが増す医者たちにしても、「自分にメリットのない顔出し」なんていうのは、極力辞退したいものでしょう。それによって多くの患者さんに来ていただいたり、来院する人たちに安心感を与えようということなら話は別ですが、それでもリスクのほうが目についてしまうのが現実で。 ましてや「世間に開かれた学校をアピールする」なんてことは、子供たちが望んでいることではなく、むしろオトナの事情なわけですから。
いっそのこと「不必要な情報公開そのものを止める」という選択肢も、ときにはあってよいのではないかと思うのです。 「モザイクに興奮する」なんて趣味の人だって、いないとは限らないんだし。
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