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2004年08月18日(水) ■ |
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「オリンピックは、消したい記憶でした」 |
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毎日新聞のコラム「学校と私」の8月18日、バルセロナ五輪平泳ぎ200mの金メダリスト岩崎恭子さんの回より。
【金メダル後は、学校で私のものが次々になくなったんですよ。防災ずきんまで。家の周りでは見知らぬ人に追いかけられました。「普通でいたい」と思うようになったこともあり、その後2年間ほど自分がどうしていたかほとんど覚えていません。オリンピックは消したい記憶でした。 オリンピックをもう一度目指すようになったきっかけは、高1で参加した次世代育成の遠征でした。同世代の選手たちと練習しながら「泳ぐのって楽しいな」と素直に感じられました。アトランタでも周りから期待されましたが、バルセロナ(自己記録を約4秒更新)のようなことがないことは自分ではわかっていました。それでも「連れて行ってもらった」バルセロナに対し、「行きたくて行った」アトランタは大きな満足感がありました。大学の途中で選手を辞めましたが、水泳部の監督がその時言った「やれることをやりなさい」という言葉が今につながっています。 最近は学校のプール開きなどに招かれることも多いのですが、「競争はダメ」という風潮が気になります。大事なのは負けて悔しがって努力することや、やってできない時に自分にできることを見つけていく過程です。教育の場でそういった機会を奪うことは、子供の可能性を摘むことにならないかなと心配です。】
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アテネオリンピックが開催されている最中ということもあり、最近テレビで岩崎さんを目にする機会が非常に多いのです。僕は岩崎さんが14歳で日本の史上最年少の金メダリストになったシーンは記憶にあったのですが、その後の半生(というには、現在まだ26歳というのは若すぎるけど)については、この記事を目にするまでほとんど知りませんでした。 アトランタオリンピックに出場されていたことも、そうだったっけ?という感じで。 しかしながら、あの「今まで生きてきたなかで、いちばん幸せ!」とインタビューに答えていた「お人形さんのような女の子」が生きてきたこの12年間は、けっして平坦な道のりではなかったみたいです。 プールを離れれば「14歳の普通の女の子・岩崎恭子」なのに、【自分のものが次々となくなったり、見知らぬ人に追いかけられたり】というような状況になってしまえば、それはもう、平静でいられるわけもなく。
岩崎さんが「アトランタオリンピックで感じた充実感」には、「一度金メダルを獲っているから、そんなふうに思えるんだ」という面もあるのだとは思います。結果を出せない人間は「参加することに意義がある」と簡単には悟れないでしょう。 今回のオリンピックでも柔道の代表選手の「勝った人」と「負けた人」それぞれの選手たちの様子とメディアの扱いを観ていてもそう感じますし。
それでも、「オリンピックで金メダルを獲っても、人生はそれで終わりではないのだなあ」と、この記事を読んで、つくづく考えさせられました。 岩崎恭子という人は、一度金メダルを獲ってしまったばっかりに、それからの人生で、「やれないことをやらされてきた」のだろうな、って。
最後の「競争」についての言葉も「彼女は勝ち組だから」と言ってしまえばそれまでです。しかし、彼女は「負けによって学ぶこと」の大事さをここで語っています。確かに北島康介選手も、谷亮子選手も、「生まれてから一度も負けたことがない」わけじゃないんですよね。そして、「勝ち負け」を競うオリンピックにここまでみんなが熱狂していて、「勝ち負けなんて教育上良くないから、順番決めるのなんかやめようよ」なんていう人はほとんどいないのがオトナの、そして世界の現実。 「競争のないところに向上はない」のは、歴史が証明しているわけですから。
とはいえ、僕もマラソン大会とかで「勝負」するよりは、みんな一緒にダラダラ走ったほうがラクだよなあ、とは思うんですけどね。 自分が得意じゃないところで競争するのが苦痛であることは、やっぱりまちがいない!
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