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2004年07月28日(水) ■ |
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「サブカル娘」の悲しきカンチガイ |
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「わたくしだから改」(大槻ケンヂ著・集英社)より。
【80年代の裏本なみにエゲツない写真もあった。 パンチラぐらいのもんだろうとタカをくくっていた僕は、アワワワと本人の前で狼狽してしまった。 「裏表紙も見てね」 けっこう仮面に言われるまま見ると、何やらフィルムに入った糸くずのようなものが貼りつけられていた。けっこう仮面が言った。 「剃毛した”毛”を一冊に一本ずつ封入するんです」 わからない。わからない。何が田舎から来たサブカル娘にそこまでやらせるのかがわからない。まったくわからない。抑圧された表現衝動の暴走といったある種のヒステリーなのであろうか?「女優になるためにAVに出る」みたいな勘違いなのだろうか?サブカル世界でのステップアップの手段を、履きちがえているのだろうか? 「何かインパクトのあることをしたかったんです。普通の写真じゃつまらない。けっこう仮面や電波人間タックルやシュシュトリアン、そういったマニアなキャラクターが縛られたり剃毛されたりしたら、すごい驚きじゃないですか」 いやしかし誰のコスプレしてても裸になったら同じじゃないの、と心でつっ込みつつ、もしかしたら彼女の中で、これこそがアートだったりするのだろうかと思ったり、けれど誰が見たところでエロ本だという哀しき意識のすれ違いに、この若きコスプレ書店員がいつか気が付くのか、気付いた時に半永久的に残るであろう若き日の緊縛ヘアヌードな自分とどうやって折り合いをつけるのか、老婆心ながら、同じように少年時代、モンモンとしながらサブカル世界に憧れていた者として、ちょっと心配だったりするのだ。】
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これは、大槻さんが取材した、とある巨大マンガ専門店の名物コスプレ店員さんについて書かれた文章です。 そして、僕もこれを読んで、ものすごく心配というか、哀しくなってしまって溜息をひとつ。
昨日、中島らもさんの訃報を聞きました。 中島さんといえば、アルコール中毒を題材にした「今夜、すべてのバーで」という傑作で文学新人賞を取ったり、大麻解放論者として有名(正直、どのメディアでも、中島さんをこういう切り口でしか取り上げていないのには、僕はすごく残念な気はするのですが)な、いわゆる「ドラッグ」とか「アルコール」に溺れた、破滅型作家、というイメージが世間的にあるようです。 そしてたぶん、世の中には「中島らもに憧れて」酒に溺れてしまったり、ドラッグにハマってしまった人もいるのではないかなあ、と。 らもさんの作品は単純なドラッグ礼賛ではないですし、冷徹なほどキチンと「ドラッグに溺れる人々」が描写されており、多くの人は「ドラッグの恐ろしさ」を認識させられると思うのですが、その一方で、そういう「破滅する人生」に憧れてる人も少なくはないのでしょう。 それは、「中島らもの罪」なのかどうかは、僕にはなんとも言えないのですが…
世界には、メインストリートから外れて生きようとする人たち、いわゆる「サブカル者」とう人種がいます。 でも、僕は彼ら(あるいは彼女ら)には、2つの種類があると思うのです。 ひとつは、「自分が好きなものが、『サブカル』になってしまう人」。 そしてもうひとつは、「自分が特別な人間であることを世間にに主張するために『サブカル志向』になる人」。 実際、世間の「サブカル者」の大部分は、後者に属すると僕は思っています(僕もそうです)。 中島らもさんみたいに「そういう生き方しかできなかった人=リアルサブカル者」は、ごく稀にしか存在しないのではないでしょうか。 それなのに、多くの人は、「本当は普通の人」であるにもかかわらず、「自分が他人と同じではない」ということを証明するためだけに、「サブカル趣味」に走ってしまうのです。 もちろん、それが「趣味」の範囲であれば、ちょっと出費がかさむくらいで、あまり大きな問題にはなりません。 でも、この大槻さんが書かれている店員さんみたいに、「勘違い」してしまう場合も少なくないような気がするのです。 「中島らも」の生き方が許されるのは、彼がその「依存」と同時に多くの人を唸らせる「能力」を持っていたからで、らもさんが「天才クリエイター」でなければ、周りの人たちにとっては、単に「迷惑な人」でしかなかったでしょう。 でも、結局多くの信者は、真似しやすいところ(そして、真似してもあまり意味のないところ)だけ真似して、「自分も特別な人間」だと勘違い。
この「ヘアヌードになってしまったコスプレ店員さん」が、「リアルサブカル者」だったのか、「自己主張としてサブカル志向に走ってしまった人」なのかは、この話だけでは僕には断定できません。 でもねえ、自分では「個性を主張しているつもり」で、実際はオトナたちにうまく利用されているだけ、って「サブカル者」は、けっして少なくはないのです。 そもそも、「似非サブカル者」の多くは、自分好みのものじゃなくて、「サブカル者たちが好む商品」に追随しているだけなのにさ。
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