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2004年07月26日(月) ■ |
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「72時間映画を観続ける方法」教えます |
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ロイター通信の記事より。
【シンガポールで、住民3人がショッピング・モールにセットされた長いすに座って、36本の映画を72時間見続けた。3人は映画観賞時間で世界記録を達成したと主張している。 地元メディアが26日伝えた。 ギネスのワールド・レコードに承認されれば、昨年ニューヨークで11人が達成した66時間半の記録を抜くことになる。 3人のうちの1人は、「一番きつかったのは朝で、幻覚が見えて、頭がボーっとしている。基本的にはスクリーンを見ているけれど、何も覚えていない」と述べている。】
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世の中には、こういう何の意味があるんだかわからないことを一生懸命にやる人というのは、あとを絶たないのです。とはいえ、「ギネスブックに載る」というのは、多くの「名も無き人々」にとっては、人生最大の偉業になりうることなのは、言うまでもないのですが。 それにしても、この「映画を観続ける」という種目は、あまりに定義が曖昧ではありますよね。「幻覚が見えている状態」とか「スクリーンを見ているけれど、何も覚えていない状態」なんて、「観続けた時間」に加算してもいいのでしょうか?もちろん、「ただ映画館の中にいて、不眠不休でスクリーンに顔を向けていただけ」にしても、どんな映画好きでも苦行には違いないとは思うのですが。
ところで、僕がこの話を聞いて考えたのは、「彼らは、どんな映画を観ていたのだろうか?」ということです。そして、もし僕がこの記録に挑戦するとしたら、どんな映画をどんな順番で観るだろうか、と想像してみました。 もちろん、映画館サイドの都合は抜きにして。 「スパイダーマン」は、面白いけど観終わったら疲れがドッと出そうだよなあ、とか、「ロード・オブ・ザ・リング」は、10時間使うには最強かもしれないけど、シリーズを観終わったら、僕も記録への旅を終えたくなりそうだなあ、とか、逆に、「ピアノ・レッスン」とかは淡々を観られそうだけど、途中で寝るかもしれないよなあ、とか。 面白すぎる映画とか感動しすぎる映画ばかりでは体がもたないだろうし、逆に、退屈な映画ではまちがいなく沈没します。
ひとつ思いついたのが、「僕が覚えている映画を子供の頃のものから順番に観ていく」という方法。僕が映画館で最初に観た映画は、小学生のときに観た「ドラえもん〜のび太の恐竜」だったと記憶しているのですが、そこからはじめて覚えている映画を年代に沿って観て行くのです。 どうしてそんな観かたを考えたのかというと、おそらく、そういうふうに順番に観ていけば、映画の内容はもちろん、「あの頃はこの映画を観ながらこんなことを考えていたなあ」とか「この映画は、あの女の子と一緒に観たよなあ」なんて、映画の内容の他に(あるいは、映画の内容以上に)、自分の記憶のなかで時間を潰せるのではないか、と思いついたからです。 古い映画には、その内容と同時に、それを観たときの自分の状況とか心境みたいなものが、けっこう詰まっているんですよね。 これって、人が死ぬときに「生まれたときからの記憶がずっと流れていく」と言われているのと同じようなものかもしれません。もしかしたら、この現実というのは、僕が観ている「走馬灯のような記憶」の一部なのかも、なんていうことを、ときどき考えてみるのです。
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