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2004年07月21日(水)
人生を変える、「選べない隣人」

「ほんじょの虫干。」(本上まなみ著・新潮文庫)より。

【そういえば、香港からイタリアへ向かう飛行機の中で途中トイレに行った時、なんだか香港人の足元が変だということに気がついた。トイレに並ぶ老若男女全員、靴をはいてないの!スリッパでもないの。子供達も、まるで家の中にいるみたいにハダシでばたばた走ってるんだ。リラックスしすぎのような気もするが、いいのかなあ。
 ってなエピソードを書き出すとキリがないのだが、本当に機内っていろんな”人種”がいて、刺激的だよね。
 隣にどんな人が座って来るかでも、けっこう機内の人生変わるよね。マネージャーの吉田さんはエコノミーに座ってる時、両隣に新米のお相撲さんが来て”きゅう”とはさまれた経験があるそうです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ああ、吉田さん不幸!という映像が、これを読んだ僕の心にも浮かんできたのです。「新米のお相撲さん」だって、正直心苦しかったとは思うのですが、さりとて、彼らの立場では関取のように席を2つ占拠したり、ファーストクラスに行けるはずもなく。
 僕たちは、一緒に旅に出る「仲間」を選ぶことはできます。そして、多くの場合、その仲間と隣り合わせに座ることになるわけですが、「周りが全て自分の知り合いばかり」というシチュエーションになることって、意外と少ないのではないでしょうか?
 徒歩や車、通勤電車ならともかく、混雑している電車の座席だとか飛行機の座席、あるいはコンサートなどのイベントでは「座席が指定されていて、隣に全然知らない人がいる」という状況は、そんなに珍しくはありませんし。
 多くの場合、僕たちは知り合いの方ばかりに注目することで、その「偶然の隣人」を意識しないようにするのですが、場合によっては、それも難しいこともありますよね。
 とくに飛行機なんていうのは、途中下車ができないどころか席を立つことすら自由にはならない乗り物ですから、隣人というのはけっこう重要なファクターです。席も狭いしねえ。
 僕も何度か「眠いのにやたらと話しかけてくる人」とか「新聞を遠慮なく大きく広げて読む人」とかに当たって辛い思いをしたことがあるのですが、「選べない隣人」で「相手に悪意がない場合」が多いだけに、そういう酷い目にあってもなかなか文句も言えず、「運が悪かった…」と内心うんざりするくらいしかできなくて、けっこうストレスが溜まるものなのです。
 そういえば、「映画館で先のストーリーをベラベラ喋るオバチャン」とか「ずっと歌手と一緒に大声で歌っていて、近くにいる僕としては『お前のコンサートを聴きにきたんじゃねえ!』と怒鳴ってやりたいような女の子」にも遭遇したことがあるんですよね。
 おそらく、大部分の乗客・観客というのは、「隣人にとっては、毒にも薬にもならない人」なのですが、運悪くこういう人々の「隣人」になってしまうと、せっかくの旅もステージも台無しです。
 そして、僕たちにとって、彼らは「選べない隣人」。
 

 しかし、こういうふうに考えてみると、家を建てたりマンションを買ったりするときって、その物件そのものの条件と同じように「隣にどんな人が住んでいるか?」というのは大事なのではないかなあ、なんて思えてきます。
 でも、そういう「隣人」も「実際に住んでみないとわからない」ことが多いんですよね。
 もちろん、向こうからすれば、僕たちも「選べない隣人」なのですが。