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2004年07月05日(月) ■ |
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それでも、「少年の更生」を信じられますか? |
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産経新聞の記事より。
【昭和六十三年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」で逮捕された少年四人のうちの一人が、知り合いの男性を監禁して殴るけるの暴行を加えたとして、警視庁竹の塚署に逮捕監禁致傷の疑いで逮捕されていたことが三日、分かった。 逮捕されたのは埼玉県八潮市、コンピューター会社アルバイト、神作譲容疑者(三三)。調べによると、神作容疑者は五月十九日午前二時ごろ、東京都足立区花畑の路上で、知り合いの男性(二七)に因縁をつけ、顔や足に殴るけるなどの暴行を加えたうえ、金属バットで脅迫。車のトランクに押し込み、約四十分車を走らせた後、埼玉県三郷市内のスナックで「おれの女を知っているだろう。どこへやった」などとして約四時間監禁し、殴るけるの暴行を加え、男性に全治十日のけがを負わせた疑い。容疑を認めており、調べに対し「ちょっとやりすぎた」と話している。 神作容疑者は先月四日、竹の塚署に逮捕され、東京地検は同月二十五日、逮捕監禁致傷罪で起訴した。 女子高生コンクリート詰め殺人事件では、平成三年の東京高裁控訴審判決で主犯格の少年に懲役二十年などが言い渡され、四人の実刑が確定した。神作容疑者はサブリーダー格として犯行に加わり、懲役五−十年の不定期刑が確定、服役した後、出所していた。 ◇ ≪女子高生コンクリート詰め殺人≫ 昭和63年11月25日、少年4人が、埼玉県立高3年の女子生徒=当時(17)=を連れ去り、東京都足立区の少年の自宅2階に監禁。ライターでやけどを負わせるなどのリンチや暴行を繰り返し、翌年1月4日に殺害。遺体をドラム缶に入れてコンクリート詰めにし遺棄した。】
参考リンク:はてなのアンケートより「少年法の量刑と彼らの更生の可能性について」
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今朝のテレビのワイドショーによると、この神作という男は7年で出所して「社会復帰」していたそうです。 この「女子高生コンクリート詰め殺人事件」のことは、僕もよく覚えているのですが、ちょうど彼らと同世代であったこともあって、ものすごく不快な記憶なのです。「どうしてそんなことができるんだろう?」という疑問と、自分だって、そういうわけのわからない事件に巻き込まれる可能性もあるんじゃないか?という不安。自分は主犯にはならないだろうけど、もし知り合いのだれかがそんなことをやっているのを知ったら、自分はすぐ警察に通報できるだろうか…とか、考えていたものです。
今回の事件に関しては、これだけでみれば「キレやすい男が起こした、短絡的な犯罪」という程度のものでしょう。こういう人間は、たぶんこの世の中に少数派ではあるものの、稀有ではない、というくらいの。 でも、その「短絡的な傷害事件」を起こしたのが、17年前に、あの「コンクリート詰め殺人」を犯した人間である、となると、この事件から受けるインパクトは、全く違ったものになってくるのです。 「結局、『更生のために服役』したはずのこの男の人間性は、何も変わってはいなかったんだな」と。 もちろん、「全治十日程度くらいの怪我だったら、以前の事件より格段の進歩だ!」と主張される方もいらっしゃるかもしれませんけど。 本人も「ちょっとやりすぎた」というくらいの自覚みたいですしね。
こういう具体的な例をつきつけられると、「少年を更生させる」というのは、不可能なのではないだろうか?とつくづく感じてしまいます。 そういう「凶悪な犯罪性」を持った遺伝子みたいなものがあって、それは後天的には矯正できないものではないだろうか?って。 僕は、人間というのは本当に「変われない」生き物なのだなあ、と思うことが多いのです。夏休みが終わる直前にならないと宿題に手をつけず、毎年反省するものの翌年も同じことを繰り返してしまうことだってそうだし、友人の女性が、いつも同じようなタイプの「イイ男」に引っかかって、結局毎回同じように酷い目に合わされるのもそうです。ひどいアルコール性の肝臓病で生死の境をさまよった末に生還し「もう酒は止める」と決心していたはずの人が、何ヶ月かすると、また同じように酒びたりの生活をして運ばれてきます。
でも、その一方で、「変わっていくもの」があることも知っています。学生時代不真面目な遊び人だった同級生が、いつの間にか患者思いの立派な医師になっていたり(もちろんこれには、逆のパターンもあるのですが)、自分が年を取るにつれ、いつの間にか、親に接する態度も変わってきたりもするのです。 コチラの資料によると(2−(4)を御参照ください)、【保護観察処分少年の再犯率は更に上昇して17.0%となっているが,少年院仮退院者では,低下に転じて,22.5%】という数字が出されています。ちなみに、今朝のテレビでは、「社会復帰後」まで含めたら、軽微な犯罪まで入れると約50%くらいの再犯率になるそうです。 この50%がすべて凶悪犯罪ではないし、社会復帰後の「社会の風当たり」が彼らの「更生」を妨げている、という意見もありましたが、正直なところ、「どうしてそんな犯罪をやった連中を社会が温かくサポートしなくてはならないの?」というのが僕の本音です。なるべく関わりたくない。「社会が悪い」とかいうけれど、みんないろんなものを抱えながらなんとか生きているわけで、社会というのは彼らの前でだけ冷たい顔をしているのではありませんし。
しかしながら、上の「はてな」の掲示板にもあるように「更生施設のスタッフたちは、みんな一生懸命少年たちのために頑張っているのに、こういうマスコミに大きく取り上げられる『失敗例』だけで責められるのはあんまりだ」という意見もあるようです。逆に言えば、こういう「反社会的遺伝子」を持った少年たちの50%は、彼らの努力により再犯に至っていないのですから。 それは、ある意味すごいことなのかもしれません。
まあ、日本の少年刑務所を取り上げた番組を観るにつれ、ああいうふうに「反社会的な傾向」を持った少年たちを1ヵ所に集めて、厳しい刑務官たちに監視させ、職業訓練をしたり、不味い食事を食べさせたり、カウンセリングをしたとしても、どのくらい効果があるかは疑問です。もちろんそこで「自分の過ち」に気がついて生き方を変えることができる人もいるでしょうけど、多くの犯罪者たちは「おつとめ」が終わるのを待ちわびているだけなのではないかなあ。宮台真治さんが書かれていたものを読んだのですが、「刑務所での待遇を良くしたほうが、再犯率が減少するというパラドックス」があるそうなのです。「太陽と北風」の話ではないですが、締め付けられるよりも、愛されたほうが「善性」が目覚めることが多いというのは確かかもしれません。 でも、感情的には、そんな扱いを凶悪な犯罪者たちが受けることは、やっぱり納得がいかないのです。
「反社会的なものをすべて排除しようとする社会」というのは、不安ですし、怖いと思います。しかしながら、こういう事件を目の当たりにすると、「こういう連中を『更生』させようとすることに、はたしてどのくらいの意味があるのだろう?」という気もするのです。たとえ、2人に1人は「社会復帰」できるとしても、残りの1人を野放しにしてしまうリスクのほうが何倍も危険なのではないか、と。
あのとき殺された女子高生は、楽しいことなんか何もない、冷たい土の中にずっといるのに、この男は「俺の女」とか、悪党なりに人生を楽しんでいる場面もあったみたいですから。 僕の「感情」は、「それは許せない!」と「理性」に訴えます。 だいたい、この「死刑になるべき男」は、どうしてまだのうのうと生きているんだろう?
それが「社会の良識」だと言うのなら、僕はそんな「良識」に向かって、唾を吐きかけてやりたい気持ちでいっぱいなのです。 「所詮、『更生を信じる』なんて口にしながら、他人事だと思っているんじゃないの?」って。
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