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2004年05月15日(土)
タランティーノが北京を知るためにやったこと。

映画「KILL BILL vol.2」のパンフレットより。

(ビル役を演じた俳優・デヴィッド・キャラダインが、「キル・ビル」の監督であるクエンティン・タランティーノについてコメントしたものの一部です)

【「彼(タランティーノ)は、自分の中に満足感を求めていて、周りが満足するかしないかは二の次だ。彼が持っている、映画に関する膨大な知識はすべて自分のための自分のもので、誰かを満足させようと思って培って来たものじゃない。その知識をいろいろな形で使うわけだが、それをいかに使うかは彼自身のオリジナルだ。彼にとっては自分自身が満足できるというのが、一番の、唯一の目的なんだ。そして撮影現場を一歩離れると……パーティ男になってるよ(笑)。週末にはパーティして朝方までディスコして、その後ホテルの部屋にみんなを連れてきて、今度は映画を観せようって言う始末さ(笑)。それに彼の北京を知る方法っていうのがユニークでね。ホテルで自転車を借りて出かけて、わざと道に迷ってしまう。そうやって何とかホテルに帰ってくることで北京を知ろうってことなんだ。まさに奇人変人だよね(笑)」】

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 世の中には「オレって(あるいはワタシって)変わってるからさあ…」なんて、自分の奇人変人ぶりをアピールしたがる人って、けっこういるような気がします。しかしまあ、自分でそう言う人たちの「変わっている」っていうのって、所詮「マイナーメジャー」と言われるような通が好む(とされている)アーティストが好きとか、ちょっと変わった小説や芸術作品が好き(女性の場合は、セクシャルなものへの抵抗がない、というのをアピールする人が多いみたい)なんていうレベルで、要するに「典型的な『変わっている人』であったり、あるいは「自分のワガママを主張するための予防線」であったりもするわけです。
「他人と違う、特別な自分」を本人はアピールしているつもりでも、周りからみれば「ああ、こういう人いるいる」とちょっと眉間に皺が寄る程度のもの。
このタランティーノ監督についてのインタビューを読んで、僕は、あらためて思いました。この人はやっぱり「本物の奇人変人」だと。
「ヘンなことを他人にアピールするためにやる人」というのは、全然「変わった人」ではなくて、「ヘンなことを大真面目にやってしまう人」こそが「奇人変人」なのだ、と。
要するに、自分で「オレって変わってるんだよね」なんて言っている時点で、すでに「普通の人の守備範囲」なのではないでしょうか。

それにしても、この「タランティーノ監督が北京を知るための方法」というのは、常識はずれというか意味不明というか…確かに異国で道に迷えば真剣に街並みを覚えようとはするでしょうけどねえ。これってかなり危ないし、怖いんじゃないかなあ。自己スパルタ教育、とでも言えばいいのか…

まあ、「本物の奇人変人の行動」というのは、カニバリズムとか幼児嗜好とか、そういう反社会的なものでなければ、観ている側には興味深いものではあるんですけどね。
むしろ「自分が特別な人間であることをアピールしたい、ニセ奇人変人の行動」のほうが、かえって鼻についたり、迷惑だったりすることもあるわけで。