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2004年04月23日(金)
あげパンは、青春の味!?

琉球新報の記事より。

【南風原町立南星中(松元憲雄校長)の2年生で生徒会副会長を務める川畑厚子さんの“公約”、「(給食で)あげパンを食べよう! 」が22日実現した。設備がないなど断念しかけた公約が、友人や家族、学校、町関係者など多くの人の力でかない、校内は喜びで沸き返った。
 川畑さんが副会長に立候補したのは昨年12月。「学校をもっと楽しくしたい」と友人と“政策”を話し合うなかで、小学校低学年のころまで給食に出ていたあげパンの復活を思いついた。そして「あげパン復活」の目玉公約を訴えた厚子さんは見事当選した。
 しかし、いざ取り組んでみると壁は厚かった。パン業者には町内の小学校4校、中学校2校の計約4200食分のあげパンを作る設備はなく、川畑さんは「もうだめだと思った」とあきらめかけた。
 一縷の望みを託して3月上旬、母親の克子さんが城間俊安南風原町長に事情を説明。その結果、試験的に同中と南風原中の給食に出されることが決まった。
 22日、川畑さんが在籍する2年3組では欠席者が1人おり、余ったあげパンをめぐり、男子7人が争奪戦を繰り広げた。熾烈しれつなじゃんけんに勝った平健太郎君(13)は「もう最高。(欠席した友人に)怒られるだろうが、それでも食べたかった」と勝利の美酒ならぬあげパンに大喜びで、川畑さんに感謝していた。】

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 ああ、あげパン懐かしいですね。僕も小学校のときはよく食べてました。正直言って、やたら大きくて喉につまるし、油っぽいし、「大好き!」とまでは思っていませんでしたけど。まあ、普通のパンよりはマシ、という程度で。

 学校給食というのは、時代によってけっこう変遷があるみたいで、僕が小学校の頃に通っていた中国地方の小学校では、給食にご飯が出ることはありませんでした。九州に引っ越してきてから、転校先の田舎の小学校で「ごはん給食」というのをはじめて体験したのです。日頃あのボソボソのパンに悩まされていた僕には嬉しいことではあったのですが、そのとき強く印象に残ったのは、田舎(というか、米を作っているところ)の子どもたちはものすごくお米を大事にするんだなあ、ということでした。
 食器にポロポロとご飯粒を残していた僕にとっては、彼らの米粒ひとつない茶碗は、ものすごくインパクトがあったのです。あれはカルチャーショックだった…

 最近は「給食にお米」は当たり前になったし、先割れスプーンとかも「犬食い(食器に口を近づける食べ方)を助長するという理由で、使われなくなったらしいですね。僕はむしろこの記事で「最近の中学校では、あげパンって出ないのか」と知ったくらい、給食とは縁遠い生活をしていることを実感させられました。

 まあ、小学校ならともかく、中学校の生徒会の「公約」として「あげパン復活」が妥当かと言われると「もうちょっとオトナになれよ!」と苦言を呈したくもなるんですが、こうやって「公約」を実現すること自体には、けっこう大きな意味もあるような気がします。こういうプロセスから学べることも多いはずだし。

 実は、僕も先日あげパンをコンビニで見つけて、「懐かしいなあ、久々に食べようかな」と思ったのです。でも、そのパンのカロリー表示を見て挫折してしまいました。油で揚げてあるだけに、普通の同じ大きさのパンの倍くらいのカロリーがあるんですよね。

 やっぱり、あげパンは「青春の味」なのかもしれない。
 僕にはもう、怖くて食べられません…