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2004年04月11日(日) ■ |
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民主主義を持ち込まないほうがいい場所 |
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「心が雨漏りする日には」(中島らも著・青春出版社)より。
(中島らもさんが、自らの鬱病との闘病体験を書いた本の一節です。)
【二十代のころからバンドは何回も組み、そのたびに長く続かず解散させてきた。解散の理由は「政治」にあった。人が三人集まればもう政治が始まってしまうのである。音楽の嗜好やバンドの方向性、あるいはギャラの配分をめぐり派閥が生まれ、疑心暗鬼や裏切りが生まれる。それでうまくいかなくなってしまうのだ。 おれは思うのだが、バンドには民主主義を持ち込まないほうがいいようだ。リーダーの言うことが絶対である、ということにしておいた方が、責任の所在もはっきりする。 経験則から導き出されたおれの独善的リーダーシップのおかげで、今回のバンド『PISS』は現在に至るも活動を続けている。CDの在庫は山のようなままではあるが。】
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この文章を読んだ後に考えてみたのですが、確かに「ずっと長い間第一線で頑張っているバンド、というのは「強力な個性と才能を持つリーダーとその他のメンバー」というものが多いような印象があります。 サザンオールスターズは「桑田圭祐+原由子とその他の人々」というのが多くの人のイメージでしょうし、僕の世代では、MR.CHILDRENやスピッツなんてのもそうですよね。音楽的に強力なカリスマ性を持ったリーダーが他のメンバーを引っ張っていくようなバンドのほうが、長続きできるのかもしれません。まあ、実際には目に見えないところでは他のメンバーがみんなをまとめていたり、音楽的に支えていたりもするんでしょうけど。ドリフのコントを支えていたいかりや長介さんのように。 逆に、ビートルズのように「個々の才能が衝突しあって、バンドの寿命を短くしてしまう」なんてことも多そうです。もちろん、「それぞれの才能の衝突」がなければバンドの意味はないかもしれませんが。 「民主的であること」「公平であること」というのは、ひょっとしたら何かをやろうとするときには、かえって足枷になるものなのかもしれません。「俺が俺が!」ではなくて、お互いを尊重しあうような「民主的」であれば、人間関係はうまくいくかもしれないけれど、何かを生み出すエネルギーには欠ける面もありそうだし。 そういう面では、ひとりの強力な才能を他のメンバーが信じて盛り上げていくような形のほうが、少なくとも人気バンドを長続きさせるには向いているということなのかな。
でも、らもさんのバンドが「独善的なリーダー」の下で長続きしている最大の原因は「CDの在庫が山のようにあるから」なんじゃないかなあ。ケンカしてまで奪い合うものができてしまえば、またいろんなことが違ってくるのかもしれないし。
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