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2004年04月10日(土)
「会っても話すことは何もない」なら、会うべきだ。

共同通信の記事より。

【外務省は10日午前、小泉純一郎首相との面会を求めていたイラクの日本人人質事件の被害者家族に対し「首相は会うつもりはない」と連絡した。
 これを受け家族側は記者会見し、面会拒否の理由として外務省が「会っても話すことは何もないだろう」と説明したことを明らかにした。また、面会拒否の方針は今後も変わらない、との説明も受けたという。
 外務省幹部は「首相官邸側の意向を踏まえた上で、現段階での首相との面会について家族側に『難しい』とは応答した」と述べたが「将来にわたっても面会できないと、拒否を示したわけではない」としている。
 家族は9日の上京以来、川口順子外相を通じるなどして小泉首相との面会を要請。犯人グループが要求している「自衛隊のイラクからの撤退」を人質救出の選択肢として検討するよう、首相に直接求めることを決めていた。】

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 この記事を読んで、「きっと、小泉さんは『会いたくない』に違いない」と僕は思いました。
 もし小泉さんがこの御家族のみなさんと会って、直接話をしたとしても、「日本の国策」というのは変わらないと思います。たとえ「あなたが自衛隊を派遣したのが悪い」と面罵されても「息子をなんとか生きて返してください、お願いします…」と泣かれたとしても。
 万が一、御家族との対面で、今まで「変更はない」と繰り返してきたのに、アッサリと自衛隊撤退を決めるような人だったとしたら、それはそれで首相に不適な人物ではないか、という気もしますしね。
 「会っても話すことはない」というか、「会っても現実的には何も解決しない」というのは事実でしょう。

 でも、僕は「小泉さん、会ってあげればいいのに」と思うのです。
 たぶん、その対面の時間は、内閣総理大臣にとって、ものすごく不愉快な時間になると予測されます。「あなたたちの身内が政府の勧告を無視して勝手に行ったんじゃないか、こっちこそ迷惑してるんだ!」という湧き上がる気持ちを抑えつつ、彼らを慰め、勇気づけ、それでいて彼らの要望には答えられないことを説明しなければならないんですから。
 そんなクレーム処理班みたいな仕事は、本来首相の仕事ではないかもしれませんよね。

 僕はこんな話を聞いたことがあります。
 飛行機のスチュワーデスは、お客さんに「新聞ありませんか?」と尋ねられたら、例え自分が直前に新聞置き場の横を通っていて、それが無いことを知っていたとしても、その場で「ありませんでした」と言わずに、ちゃんと自分の足で確認しに行ってから、お客さんに「すみません、ただいま切らしているようです」とお詫びするそうです。
 医者も基本的に毎日、とくに訴えがない入院患者さんに対しても「だいじょうぶですか?」と声をかけ、聴診器をあてます。これはもちろん、身体の変化を把握するために必要なことですが、それと同時に、患者さんに対して「あなたのことを忘れずにちゃんと見ていますよ」と伝える意味もあると思います。

 理論的には「さっき見て新聞ありませんでした」と言っても「とくに自覚症状もないし、毎日聴診器あてなくてもいいや」と言っても、そんなにおかしいことではないような気がしませんか?あるいは「それは非合理的なのではないか?」と。

 でも、人間関係には、そういう「誠意」というのが必要なのです。
 ときに「誠意と呼ばれるもの」は、正しい理屈の何十倍、何百倍も人の心を動かすことがありますし。
 「自衛隊を撤退させて」という要望が無理難題であることくらい、たぶん、人質の家族の方々も、内心理解されているのではないでしょうか?
 それでも「会っても意味がない」と門前払いをされるよりは、首相に会って「あなたのせいだ!」とやり場の無い気持ちをぶつけることによって、少なくとも気持ちの上では多少は違うはずです。

 こんな偉そうなことを書いていますが、僕だってそんなふうに責められるために誰かと会うのはイヤですよ、きっと。
 しかし、あくまでもこの御家族の方々は「被害者の家族」なのだし、そんなに邪険にしないで「話すことがないからこそ、首相自ら時間を割いて、この御家族と会う」ことが大事なのだと思うのです。

 この御家族と「会って、話を聞く姿勢をみせる」「首相みずから責められてみせる」という行為は、多くの日本国民に対して、小泉首相の「誠意」をアピールする、大きなチャンスなのではないでしょうか?「こういう事件が起こっても、政府は被害者のことを考えているよ、見捨てないよ」というパフォーマンス。

 僕は、ものすごくズルイことを書いています。
 でも、そのくらいの虚飾というのは、生き残るために必要な知恵なのではないのかなあ。それで誰かが不幸になるわけじゃないし。
 「話すことがない」からこそ「会う」というのが大事なことは、きっとあるのだと思うのです。
 「首相が会って話を聞いてくれた」というだけでも、「伝わるもの」はあるのでは。
 ミルコ・クロコップと会うより楽しくないかもしれないけど、その「不快な対面」は、はるかに「日本国民のためになること」なのではないでしょうか。