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2004年03月31日(水) ■ |
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「恵まれた市長の娘」に残された選択肢 |
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山梨日日新聞の記事より。
【静岡県警は三十日、二十六日から行方不明になっていた同県磐田市の鈴木望市長の長女(22)=同市天竜=を山梨県内で保護した、と発表した。静岡、山梨両県警の調べによると、南都留郡富士河口湖町西湖の青木ケ原樹海を一人で歩いている長女を富岳風穴チケット販売所の男性職員(57)が見つけた。長女はかなり衰弱した様子だが、けがはないという。「連れ去られたのではなく、ずっと一人でいた」などと話しており、静岡県警は事件性はないと断定した。
両県警の調べや販売所職員によると、長女は三十日午後五時十分ごろ、雨でずぶぬれになって青木ケ原樹海からはだしで出て来たところを販売所職員が発見。自分で職員から電話を借りて母親に連絡、通報を受けた静岡県警からの情報で、現場に駆け付けた富士吉田署員が保護した。
販売所の事務室でバケツに入れた湯で足を洗った長女は「どうやって来たの」との男性職員の問い掛けに「分からない」などと答え動揺した様子だったという。長女は自ら母親に電話をかけたが「お母さん」と言った後、泣き崩れて言葉を発せられなかったことから、男性職員が電話を代わり居場所と連絡先を伝えた。男性職員が名前を尋ねたところ、小さな声でフルネームを答えたという。
長女は十八日に関西の大学を卒業。二十七日からは就職が内定していた会社の研修に参加する予定だった。】
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このニュースを聞いての世間の反応は「無事でよかった」というのと「人騒がせな!」が半々、といったところではないでしょうか?僕自身もそんな感じではあったのですが。 でも、この記事を読むと、なんだか僕はとてもせつなくなってしまったのです。ああ、この女性もきっと辛かったのだろうな、って。 彼女は、関西の大学を卒業したばかりで、地元の浜松市に就職することになり、実家に戻っていたそうです。たぶん、いろんな不安があったのだと思います。 失踪当日は地元の高校時代の友人と会うことになっていたそうですが、大学の4年間というのは大人としての人間関係の形成に大きく影響する時期です。大学時代の友人たちと離れて、「市長の娘」として地元企業に就職するというのは、たぶん、大きなプレッシャーがあったのではないでしょうか? その仕事が、彼女が本来やりたかったものかどうかはわかりませんが、いずれにしても「コネで入った」とか特別視される可能性だってあるでしょうし、誰からも後ろ指をさされないように、真面目に働いてみせないといけません。磐田市長自身が「市長の娘として、恥ずかしいことはするな」なんて口にしなくても、子供というのは、そういう「空気」みたいなものを敏感に感じ取ってしまう場合もあるのです。
僕が通っていた医学部にも、「選ばれた人たち」はいました。彼らは「教授の息子」だったり、「大病院の娘」だったり、さまざまな背景を持って、医学部までやってきたのです。中には「恵まれた人生」とやらを謳歌していたように見える者もいましたが、多くは「自分の選択」について、悩みを抱えていた記憶があります。 医者の子供というのは、子供の頃から「お医者さんになるんでしょ?」なんて近所のオバサンに言われたり、親戚から「医者の子だから、成績が良いのは当たり前」なんて決め付けられたり、親からは「医学部に行くんだよね?」というような暗黙の進路決定がなされていたりする場合が多いのです。最終的には自分で決めた道のはずなのだけど「レールに乗って生きている人」と他人に思われる辛さというのは、やはり、他人には理解しがたいものだという気がします。 本当はみんな、レールから外れて生きていく自信がなかったり、周囲の期待を裏切って生きるという選択をする勇気がなかったりして、必死にレールにしがみついているだけなのに。
僕は、彼女が自分でもよくわからないまま失踪してしまった気持ち、なんとなくわかるような気がするのです。親が敷いてくれた(と他人には思われているであろう)レールの上をこのまま進んでいくことへの疑問と、そのことを親や周囲の人に直接ぶつけられない「良い子」である自分へのもどかしさ。「市長の娘なんだから」と言われ続けるプレッシャー。 本当に「人騒がせな、傲慢な人間」なら、こんなことにはならなかったはず。もっと違う方法で、自分の思い通りにしたり、発散したりもできただろうから。 たぶん彼女には「この方法しかなかった」んですよね。
何の面識もない方ですが「とりあえず、生きていてくれてよかった」と僕は思っているのです。
こんな時代もあったねと、いつか笑える日がくるさ。 いつかきっと、僕も、あなたも。
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