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2004年03月29日(月)
その『一声』が、すべてを変える。

日刊スポーツの記事「日曜日のヒーロー」、3月21日分の高橋英樹さんのインタビュー記事より。

【夫婦仲をよくする秘けつは「尊敬と信頼と感謝」と語る。家にいる時は2人で絶え間なく会話している。

 高橋「どんな時でも『ありがとう』という言葉を言うように心がけています。仕事を終えて帰宅すると『お疲れさま』。私が『待っててくれてありがとう』。当然、分かっていても言葉にしないと伝わらないでしょ。『ありがとう』と言うのに1秒もかかりません。1秒を惜しんでどうすんのよということですよ。

 そんなおしどり夫婦も30年間に2度けんかしたことがある。

 高橋「結婚して7年後に子供が生まれ、子育て論でちょっと。妻も子育てで疲れていたのかも。もう1回は結婚1年後。違う家庭で育ったから習慣が違い、互いに遠慮があったんですね。朝食がまるで旅館の食事のように酢の物、煮物、焼き魚と並ぶんです。申し訳ないからと全部食べると、妻は足りないのかと思って翌朝、一品増やしてるんですよ。我慢して全部食べてましたが、1年後に苦しくなってぶつかりました」。 】

〜〜〜〜〜〜〜

 挨拶って大事なんだなあ、と僕は仕事をはじめてから、やっとわかるようになった気がします。今でも、道を歩いていて、知らない近所の人に笑顔で挨拶、なんて芸当はできませんが。
 この高橋さんの「ありがとう」って言うのに、一秒もかからないじゃないか、それを惜しんでどうする!という言葉は、なかなかいいなあ、と思います。
 僕の大学時代の先輩に、外食をしに行ったあと、「ごちそうさま」と必ず店員さんに一声かけて店を出る人がいました。引っ込み思案の僕としては、正直「どうしてそんなことができるんだろう?」と考えてしまって、ある日、先輩に聞いてみたのです。そうすると、返ってきた答えは、「俺もこういう店でバイトしてたから、一声かけてくれるとすごく嬉しいのって、わかるからね。『ごちそうさん』の一言で、全然違うもんだよ。」というものでした。
 それで、実際に僕もやってみる練習をしたのです。もちろん、最初はうまく声にならなかったりもしましたけど。
 僕は「他人から気を遣われていることに、自分で気を遣ってしまう」というタイプの人間なので、あまり常連扱いとかされるのは好きではないのですが、そうやって、一声かけるようにすることで、逆にラクになったところがたくさんあるような気がします。
 それまでは、お釣りをもらって店を出るまで、なんとなく居場所がない感じがしたのですが、そういうふうに一声かけることによって、「自分の立ち位置」ができるような気がするのです。店を出るタイミングもできるし。

 そういうのって、うまく言葉にするのは難しいのですが、英語で言うところの”a”と”the”の違い、とでも言えばいいのでしょうか。
 人間にとって、「自分に関係のない人間」というのは、基本的に単なる風景の一部です。しかし、一声かけられて、そこに繋がりが生まれることによって、その人を「人間」として認識するようになるのです。
 「挨拶をする」「一声かける」というのは、相手に「この人は人間だから、人間として扱わなくてはならない」と認識させるという効果もあるのではないでしょうか。
 「挨拶をすることによって、自分が主導権を握れる」という感覚。
 逆に、どんなに仲の良い夫婦であっても、こういう物理的な刺激によって、お互いが”the"であることを再認識していかないと、少しずつ「風景」になっていくのかもしれません。

 年を取り、お互いに慣れが生じると「言葉をかけることの大切さ」というのは、見失いがちになるものです。「言わなくてもわかるよね」って。そういう関係というのは、とても気楽なものではありますし。
 でも、そんな中でも、ときには「言葉で伝える」っていうことが、必要なのだと思います。
 高橋さんのインタビューの後半にあるように、愛し合って結婚したはずの夫婦で、お互いに相手を思いやっている結果のはずなのに、すれ違いを生んでしまうことだってあるわけですから。
 だいたい、「言わなくてもわかってるはず」って他人に対しては思い込みがちなのにもかかわらず、自分が言葉をかけられないと「ひょっとして、何か気に障るようなことをやったのかな…」なんて、つい考えてしまうんですよね…

 それにしても高橋さん、毎日おかずが一品ずつ増えていったら、一年後はさぞかし凄いことになっていたのでは。

 まあ、わかっていても、その『一声』がなかなか出ないのが、僕も含めて「普通の人」なのだと思います。「自分にはできない」って決めつける前に、日頃から意識しないとダメなんですね、きっと。