|
|
2004年02月22日(日) ■ |
|
哀川翔さんの「教育方針」 |
|
日刊スポーツの記事「日曜日のヒーロー<402>」 (現在、100本目の主演映画「ゼブラーマン」が公開中の哀川翔さんのインタビュー記事です)
【インタビュアー:哀川家の教育方針は基本的なことだけだ。礼儀とあいさつをしっかりする、うそをつかない、人のものを取ったりしない、人を傷つけたりしない。女手一つで育ててくれた母の影響が大きい。
哀川:「うそつくなよというのも、人の物取るなよというのも、人を傷つけるなというのもお袋が言ったこと。それ以外は何でもいいって」。】
〜〜〜〜〜〜〜
僕はこの記事ではじめて知ったのですが、哀川さんのお父さんは海上自衛隊のパイロットで、哀川さんが5歳の時に訓練飛行中の事故で亡くなられ、当時身重だったお母さんの代わりに、哀川さんは長男として叔父さんと一緒にお父さんの御遺体の確認をされたそうです。そのことが、彼の生き様にどのくらいの影響を与えたかなんて、他人である僕には測り知ることはできないのですが。
この「お母さんの教育方針」というのは、本当にシンプルで要点をついていて、僕は「なるほどなあ」と思いました。高祖劉邦の法三章(人を殺す者は死、人を傷つけおよび盗する者は罪に低 (あた)る。)と同じだ、なんて。 これを読んでから、「では、自分の子供を教育するときに、これに何か付け加えることがあるとすれば、何があるだろう?」なんて考えてみたのですが、結局思いつきませんでしたし。 確かに、これだけのことができれば、「自立した人間」として認められるでしょうし。 現実には、こんなシンプルな教育方針でも、完全に守れる人間なんていないのだろうけど。
ところで、昨日年上の家庭持ちの先生たちと飲んでいて、子供の教育の話になったのです。その先生たちは、「う〜ん、お金はかかるし、生活も厳しいけど、やっぱり子供は私立にやりたいよなあ。自分たちもそうやって親に『環境』を整えてもらったし、いじめとかも少ないだろうし」と言い合っていて、未婚・子供ナシの僕は「そういうものなのか…」なんて思いながら聞いていました。 「本当にやる気があれば、どこに行かせても一緒」なのかもしれませんが、「孟母三遷」の故事にもあるように、「できることはしてやりたい」と思うのもまた親心なのでしょう。 僕は高校から私立だったのですが、当時はなんとなくイヤだったけど「勉強させられない環境で、自発的に勉強していただろうか?」なんて想像すると、うちの親は親なりに僕のことを考えていてくれたのかな、なんて今さらながら感謝してもいますし。
「人間として最低限必要なこと」だけでは子供のことが心配、というのも親心なんでしょうね。 幼稚園の「お受験」なんてバカバカしいし、親の見栄の要素が大きいと思うけど、自分の子供のこととなると、また別問題なのかな…
|
|