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2004年02月19日(木)
「年を取ることは、けっして恥ずかしいことじゃない」

日刊スポーツの記事より。

【55歳の元世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマン(米国)が、高額ファイトマネーで7年ぶりに現役復帰する。ドン・キング・プロモーターが17日(日本時間18日)、推定2000万ドル(約21億円)で契約に合意したと明かした。復帰戦は74年にザイール(現コンゴ)で元同王者ムハマド・アリ(米国)と対戦した世界戦の30周年記念試合として行われる。日時、会場、対戦相手は未定だが、フォアマンは故郷ヒューストンでの開催を希望した。

 試合は「キンシャサの奇跡」の30周年記念試合として開催される。王者フォアマンは圧倒的優位といわれながら、アリに8回KO負けした。世界中から注目された歴史的ファイトに思い入れも強く、記念興行という企画と高額報酬にやる気満々だ。97年からリングに上がっておらず、自分と同じジョージという名前を付けた息子6人に孫も体調を心配する。話題づくりと批判する声もある。しかし「若者に年を取るのは悲しいことでないと示す」と反論し、本気でトレーニングを続けている。94年に45歳10カ月の最高齢記録でWBA、IBF世界王座を奪取したフォアマンだけに話題性は抜群。】

参考リンク:「ジョージ・フォアマン殿堂入り」(怠惰な暮らし)

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 「世代間の闘い」と言われた、あのイベンダー・ホリフィールド戦から、もう13年が経つんですね。正確な年代は僕の記憶からは抜け落ちてしまっていたのですが。28歳のホリフィールドに敗れはしたものの、最後までリングの上に立ち続けた42歳のフォアマンが試合後に遺した「年を取ることはけっして恥ずかしいことじゃない」という言葉に、当時はまだ20歳前の僕は、すごく感動したことを覚えています。ああ、世の中には凄い男がいるものだ、と。
 そして、競馬の世界では岡部幸雄騎手が、1年1ヶ月のブランクを乗り越えて先日復帰しました。復帰初日のレースでも勝利をあげるなど、年齢の壁に負けずに現役で闘い続けるベテランの姿は、やっぱり僕の心を揺り動かすのです。

 その一方で、20歳の僕はこんなことも考えていました。
 「年をとってもできる」なんてことをわざわざ証明する必要があるのか?なんて。
 競馬の世界は比較的高齢でも活躍している騎手は多いですし、パワーの低下を経験で補える部分もあるのでしょうが、ボクシングに関して言えば、「42歳にもなって、あえて『自分が若者と互角に戦えること』を証明しなくてもいいんじゃない?」とも思っていたのです。
 それは「年を取ってもできる人もいる」ということであって、一般的には「若い方が有利」であることには変わりないでしょうし、そこまでして「年をとっても強い」ということに拘泥しなくても、という疑問でした。42歳にもなって、ボクシングでもないだろう、と。もっと他の、42歳の人間にふさわしい仕事で「年を取るのは恥ずかしいことじゃない」ということを証明してみせればいいのにな、と。

 僕は今、自分が30歳を超えて思います。確かにフォアマンは偉かった、と。
 人間年をとるとワガママになっていきますし、より刹那的な方向に向かいがちなもの(「今が楽しければいい」とか、そういうやつです)。その中で、厳しいトレーニングに耐えて闘ってみせたフォアマンは、凄い男だと思います。
 ただ、やっぱり「そうやって若者と闘ってみせるしか、『年を取ることの恥ずかしさ』を払拭する手立てがないこと」に、寂しさも感じるのです。
 「年をとっても(体力的・精神的に)若いこと」だけが、価値の基準でいいのだろうか?と。

 今の世の中では「年を取るのは恥ずかしい」という観念が蔓延しているような気がします。
 20歳なんてオバサンだよね、という高校生の会話を耳にして、耳を疑うこともありますし。

 たぶん大昔は、「長生きをしている人間」には「知識や経験を伝授してくれる人」という絶対的な価値があって、年寄りは大切にされていたのでしょう。人間が長生きすることが難しく、情報を記録することが困難だった時代には、存在そのものに価値があったのです。
 でも、今は、さまざまな記録媒体によって「より精製された知識の伝達」が可能となり、高齢者の数も劇的に増えましたから、年寄りの価値は、どんどん下落しているようです。
 人間が長生きできるようになったことによって、「年を取ることが恥ずかしい時代」になってしまった現代。

 ただね、僕は自分が「年をとってしまったこと」は、そんなに嫌ではないです、今のところは。
 少なくとも20歳のときに比べて自分や他人を許せるようになったし、感情の揺れも少なくなりましたし。そして、いろいろな物事を広い視点でみることができるようになったとも思っています。
 仕事をしてお金をもらえるようになったし、専門家としてできることも増えました。
 残り時間の少なさに愕然とすることが多いですし、イヤなこともたくさんありますが、それでも、人間として社会に適応できるようになって、いろんなものを責めるだけだった昔より、生きるのがラクになりました。
 階段を上がるときの息切れは、まったくもって情けない限りですが。

 「年を取ることは、けっして恥ずかしいことじゃない」
 そう、別に殴り合いをしたり、いつまでも「若さを保つこと」にとらわれなくても、「恥ずかしくない年の取り方」はできるんじゃないかなあ、きっと。
 フォアマンや岡部騎手の本当の凄さは、「力で若者に負けないこと」ではなくて、「自分の年齢を言い訳にしない生き方」だと思うのです。

 「年をとっても若いだけの人」よりも「立派な年寄り」に、僕はなりたい。