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2004年02月18日(水)
じいちゃんや、ばあちゃんは、「暴力大好き世代」だったの?

「新ゴーマニズム宣言13〜砂塵に舞う大義」(小林よしのり著・小学館)に掲載されている、平成15年11月に小林さんが行った講演「よしりん説法・青年たちへ」の一部です。

【今の左翼のやつは知識のあるなし以前に、自分のじいちゃんばあちゃんに対して非常に侮蔑的で、卑劣ですよ。自分のじいちゃんばあちゃんの世代は全部侵略者で、そこだけ特別異常に暴力のみが好きな世代だったかのごとく、子供に伝えちゃうわけでしょ。それ自体が非常に卑怯な仕打ちなんだってことを、あなたがわかればいいだけですよ。それはきっと伝わっていくわけでしょう、周りの人間にも、次の世代にも。】

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 小林さんは「今の左翼のやつは」と限定されていますが、僕たち戦後教育を受けてきた人間にとっては、「太平洋戦争の時代の日本人は、みんな侵略者」で、「原爆を落とされたのも戦争を早く終わらせるために仕方がなかった」というのが「常識」だったような気がするのです。
 僕の父方の祖父は戦争に行って還ってきた人で(母方の祖父は戦争で亡くなりました)、僕は「生きて還ってくるなんてすごいなあ」なんて言いながら、内心「おじいちゃんは、悪いことをしてきたのかなあ…」と子供心に思っていたのを思い出しました。

 しかし、今になって考えると、歴史上太平洋戦争の時代にだけ、暴力的な人間が生まれる確率が高くて、あとの時代の人間は平和的な人間ばかりが生まれた、なんてことはありえないような気がします。
 「魔女裁判」とかの中世の頃に比べたら人間という種は劇的な「進化」を遂げているのかもしれませんが(僕自身は、何百年という単位では、本質はそんなに違わないだろうと思っています)、少なくとも、僕たちのおじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんの世代だけが、全くの突然変異だった、なんてことは考えにくいことです。
 でも、僕たちはすべて、「あの頃の日本人は間違っていた」と教えられてきたのです。
 あの時代に生まれていれば、僕だって特攻隊の一員になっていたり、原爆で命を落としていたかもしれないのに。
鹿児島の知覧にある旧特攻隊基地で、隊員たちの「遺書」を読むと、彼らは愛国マシーンなんかではなくて、いろんな葛藤を持っていたこともわかります。

 たぶん、僕たちとあまり変わらない「普通の人間」が、あの時代は戦争をしていたのです。そのころは、忘れてはいけないことだし、逆に、今の僕たちだっていつのまにか戦場に送られる可能性だってあるのです。
 大事なのは、「あれは悪いことだった」と後悔だけして「当時の愚かな人々の責任」にしてしまうことではなく、「どうして普通の人間たちが殺しあうようなことになってしまったのか?」というのを考え続けていくことなのでしょう。

 100年くらいで人間の「本質」なんて変わるわけもないし、僕だって、自分の中に「好戦的なもの」を持っているのを感じることが多いんですよね。
 
 先日、街に出たら「右翼」の街宣車が大声で何か道行く人々を脅すような言葉を投げかけていました。「左翼」の人たちの中には、公衆便所の落書きで平和を訴えようとしている人もいました。
 たぶん、僕たちの御先祖様が望んだ未来って、そんなのじゃないと思うのだけどなあ。
 結局、「より良い社会をつくるため」じゃなくて、「自分の存在を誇示するため」に、犠牲になった人たちを利用しているだけじゃないの?