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2004年02月06日(金)
サイト管理者とネットストーカー予備軍の「哀しき温度差」

朝日新聞の記事より。

【新潟大学工学部で、昨年暮れに起きた立てこもり事件をきっかけに、同大の学生のホームページ(HP)が消え始めている。逮捕された米国人の男子学生(23)が「HPで女子学生の写真を見て会いたかった」と動機を供述したからだ。米・シアトル市から新潟市まで約8000キロ。飛行機、車を乗り継ぎ、やってきた。ネット社会で起きた思わぬ事件に、大学はHPの掲載内容に関するルールづくりを検討し始めた。

 この女子学生は、工学部に在学していた。研究室のHPに、個人のページをつくり、自己紹介や学生生活の写真、日記、メールアドレスを掲載していた。

 事件があったのは昨年12月19日午後。この女子学生が所属する研究室に短刀を持った米国人の男子学生が立てこもって叫んだ。「彼女に会わせろ。でないと、指を切る」。教授が説得し、事務室に連れて行った後、男は逮捕された。

 男はかつて日本に住んでいたが、女子学生と面識はなかった。新潟西署の調べに、男は「昔つきあっていた女性と同じ名前を検索したら、彼女のHPを見つけた。かわいくて、ぜひ会いたいと思った」と話したという】

参考リンク:女子大生のHP見て恋心 新潟大立てこもりの米国人学生(asahi.com)

〜〜〜〜〜〜〜

 この事件の場合は、犯人が研究室に立てこもるという派手な結末になってしまったため、こうやって大きな話題になってしまったわけですが、実際、この手の「ネットストーカー」というのは、けっして少なくはないのだと思います。
 ただ、出会い系サイトの登録者同士が、こういうトラブルを引き起こすのは、ある程度理解できるような気がするんですよね。彼らはみんな(まあ、サクラとか援助交際とかネカマとかがいるとしても)、「出会いを求めている」わけで、そのためにリスク覚悟で自分の年齢とか職業とかをネット上に露出しているのです。お見合いに「釣書」が重要であるように、やっぱり、ある程度その人のキャラクターがわからないと、「自分に合った人との出会い」というのは難しい。
 もちろんそこにリスクがあることを、「出会い系」の登録者は、程度の差こそあれ理解できるはずで。
 それでも、メリット>デメリット、という結論で、いろんな人が、自分のプロフィールを公開しているわけです。

 しかし、いわゆる「個人サイト」の場合はどうでしょうか?
 既に顔が広く知られている有名人の個人サイトなどは別として、ごく普通の人のサイトなのに、自分や子供の顔写真が載っているサイトって、けっこうありますよね。
 僕は、そういう個人情報を公開することによるデメリットのほうを考えてしまいますし、匿名でリラックスして書けるのがネットの良いところだと思っていますので、そういう「公開したがる人々」のサイトにたいしては、物騒だなあ、と感じます。
 匿名でリアルに近いことを書くのと実名で嘘を書くのでは、前者の方が僕の身の丈に合っていますから。
 とはいえ、「ネットの匿名性」なんて、本当は儚いもので、「相手が調査会社などを使って調べれば、すぐわかってしまう程度のもの」です。辛うじて匿名性が守られているのは、そこまでして調べようとする人がいない、というだけのことなのですけど。

 個人で趣味としてホームページを公開する、というのは、一種の自己顕示欲のあらわれだということを否定できる人はいないでしょう。「誰にも見てほしくなくてサイトを作った」なんて人はいないはずです。
 それはたぶん、今回被害者になってしまった女子学生にとっても同じことで、「誰かに見てほしいから写真を載せた」のだし、「誰かと素晴らしい出会い(それは、異性に限らず、です)があるかもしれない」から、メールアドレスを公開しているのだと思うのです。
 そういうことを自分でどのくらい意識していたのかはわかりませんが…
 
 ただし、そういう「サイト管理者が望むコミュニケーション」と「来訪者が望むコミュニケーション」の間には、かなり温度差があることが多いのも事実。
 「出会い系」なら、基本的にお互いのスタンスは近いのでしょうが、個人サイトの場合には「単に自分が書いたものを誰かが読んでくれたら嬉しい(僕はそんな感じ)」という人から、「願わくば、このサイトをキッカケにして、現実の生活にメリットをもたらしたい」という人もいます。
 後者にも「ライターとしてデビューしたい」というのが目的の人もいれば、「友達が欲しい」「恋人ができればいいなあ」まで、さまざまな目的が存在しています。
 もちろん「作家デビューできて、彼女もできたらいいなあ」なんて欲張りな人もいるでしょう。

 現代では、ネットの出会いで幸せになるカップルは、ごく一般的なものになってきましたが、実際には(特に女性の場合は)、今回の事件のように、ネットストーカーにつきまとわれたり、不快な思いをすることが少なくないようです。サイトの日記は、けっこう正直に自分のことを書いてしまうことが多いですから、読んでいる側としては、親近感を感じやすいということもありますし。
 僕だってサイトを、見て、「この人はどんな人なんだろう?」なんて思うことはよくありますし、写真だって載っていれば見ることもあります。まあ、僕も含めて大部分の人は、「こんな人なんだ」とちょっと思ったあとにすぐに忘れて、また日常へ回帰するんですけどね。

 「個人サイト」とはいっても、管理者の方向性はひとつではない、ということです。
 そして、管理者の思惑と閲覧者のイメージとの間には、必ずギャップが存在するのです。
 「自分が求めること」と「相手が期待すること」は、けっして同じではありません。
 「出会い系サイト」のような、目的が限定されたものではない限り。
 いや、それでさえも「メールフレンド」から「カラダだけの関係」まで、けっこう幅があるのですから。

 「個人サイト」とはいっても、相手はパソコン上のデータじゃなくて生身の人間。
 そのことを忘れてはいけないのだと思います。

 まあ、こういう事件が起こったからといって、「大学が個人のサイトの中身まで規制すること」が正しいとも思えませんし、写真を載せることのメリットというのも、確実に存在してはいると思うのです。
 ただ、サイト管理者とサイトに来る人の間には、意外と大きな「温度差」が存在しているというのは、お互いに知っておいたほうが良いような気がします。

 僕だって、自分が福山雅治みたいなイイ男だったら、匿名でサイトなんてやってませんけどね、そりゃ。