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2004年01月20日(火) ■ |
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「オマージュ」と「パクリ」の分岐点。 |
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日刊スポーツの記事より。
【昨年のNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」の一部が故黒沢明監督の映画「七人の侍」の盗作だとして、著作権を相続した長男の久雄さんらがNHKなどに約1億5000万円の損害賠償などを求めた訴訟の第1回口頭弁論が20日、東京地裁(三村量一裁判長)で開かれた。
NHK側は「著作権侵害はなく、監督の名誉を傷つけてもいない」と請求の棄却を求める答弁書を提出。全面的に争う姿勢を示した。
黒沢さん側は訴状で「武蔵」の第1回は基本的なストーリーや11のシーンが「七人の侍」に酷似している、と主張している。】
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僕も「武蔵」の第1回を観ましたが、確かに「七人の侍」に内容が酷似しているのはまちがいないところです。しかしながら、実際に観た感想としては、「大河ドラマがこんなに堂々と『パクる』くらいなんだから、やっぱり『七人の侍』というのは、歴史的名画なんだなあ」という印象でしかなくて。 逆に、あれだけ堂々とやられると、かえって清々しいくらいで。
それにしても、「パクリ」と「オマージュ」「影響を受けている」の違いというのは非常に難しいところがありますよね。
例えば、超有名ゲーム「ドラゴンクエスト」というゲームの「敵を倒して経験値を稼いで主人公がレベルアップしていき、最後に敵の大ボスを倒す」というシステムは、いまや「ロールプレイングゲーム」と呼ばれるジャンルのスタンダードです。「ドラクエ風のRPG」は、飽きるほど発売されています。 しかしながら、その「ドラゴンクエスト」は、「ウルティマ」「ウィザードリー」というアメリカの有名ゲームの影響を色濃く受けており、さらにそれらのゲームは、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」というボードゲーム(一般的には、プレイヤーと司会者の会話で進められていくので、「テーブルトークRPG」と呼ばれています)の影響を受けているのです。 すべては歴史の積み重ねの上にあって、本当の「オリジナル」というのは、果たして存在するのどうか。
そういえば、昨年大ヒットしたドラマ「僕の生きる道」だって、黒澤監督の名画「生きる」に強く影響を受けているわけですから、「パクリ」と言えなくもない。
今回の例は、「あまりにも類似しすぎている」ということなのかもしれませんが、実際「七人の侍」というのは、いまや時代劇のゴールデン・スタンダードであり、ある意味、模倣されつくしてもいるのです。それはまた「偉大な作品」の宿命。それに、「七人の侍」のストーリーや設定だって、それ以前の映画の影響を少なからず受けているわけで。 「どこまでがオリジナルか?」というのは、考えれば考えるほど難しい話です。 正直、「少々パクられたくらいでは、『七人の侍』の価値は揺るがないんだから、いちいち目くじら立てなくてもいいんじゃないかなあ、などとも思うのですが。 あの手塚治虫さんは、ディズニーが自分の作品とあまりに設定が似た映画を出したとき、周囲の人に訴えることをすすめられましたが、次のように答えたそうです。 「自分だってディズニーの映画には大きな影響を受けてきたのだから、まあ、しょうがないよ」 真似されるのもまた、名作の証明、なのかもしれません。まあ、やりすぎると「武蔵」のように、かえって視聴者をしらけさせてしまうだけですけど。
黒澤監督本人が生きておられたら、いったいどのように思われたでしょうね…
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