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2004年01月10日(土)
「本質的にロマンチックな仕事」

「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」(村上春樹著・新潮文庫)より。

(村上さんを案内した、スコットランド・アイラ島のウイスキー蒸溜所のマネージャー、ジム・マッキュエンさんの言葉)

【「ウイスキー造りを僕が好きなのは、それが本質的にロマンチックな仕事だからだ」とジムは言う。「僕が今こうして作っているウイスキーが世の中に出ていくとき、あるいは僕はもうこの世にはいないかもしれない。しかしそれは僕が造ったものなんだ。そういうのって素敵なことだと思わないか?」】

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 何かを創造する仕事の魅力というのは、この言葉に尽きるのではないかな、などと僕は考えてみるのです。
 今のところ、人間は「死」という宿命を背負っています。「死んだら何もなくなってしまうんだから怖くないよ」という人もいうけれど、それは「死」というものが身近なところにない状況でのこと。
 そう、「何もなくなってしまう状態」「『何もない』ということすら感じられなくなってしまう状態」というのが、死の恐怖であるわけですし。
 それに、病気や外傷による苦痛、老いなど、「死んでいくというプロセスへの恐怖」というのもあるでしょうし。

 結局、人間というのは、自分が永遠に生きられないのなら、せめて自分の形見をこの世界に遺していきたいのかな、という気がします。
 それは人によっては自分の遺伝子を分けた子供でしょうし、人によっては芸術作品や研究の成果でしょうし、人によっては手記やお金かもしれません。
 「人間には2度の『死』がある。1度目は肉体的な死、2度目は、その人のことが忘れ去られるという死だ」という有名な言葉があります。
 2度目の死を少しでも先延ばしにしたい、というのは、どんなに満足な人生を送った人でも(むしろ、そういう人のほうが、かもしれませんね)避けがたい欲求なのでしょう。

 WEB日記なんて、まさにそういう「形見」みたいなものなのかな、なんて思うことがあります。
 相手は特定の誰かではないし(これはあくまでも僕の場合ですが)、ジム・マッキュエンが遺そうとしているウイスキーのように、こうして書いているものの中のカケラだけでも、この世界に遺して、誰かに伝えたいというささやかなる希望。

 実際は、そんな堅苦しい話じゃなくて、飲んで(読んで)もらって、「美味しかった!」と一言いってもらえれば、それで充分。

 しかし、あらためて考えると、こうして書いたものを顔も知らない誰かがどこかで読んで、心を少しでも動かしてくれるとしたら、それはやっぱり「ロマンチック」なことですね…