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2003年12月21日(日)
一点だけものすごく変な人、というのが増えている。

「日々の考え」(よしもとばなな著、リトル・モア)より。

【この間、中華料理店のカウンターの隣に、ひとりで食べている男の人がいた。お皿をとってあげたら、どうもとか言ったり、席がせまいからとつめてくれたり、とても普通の人だった。なのに、食べている時、ずっと、しつように手や雑誌で口元を隠している。その隠しようといったら、すごいもので、真剣味があった。また、仕事の依頼などでも、ずっと普通に話しているのに、一点だけものすごく変な人、というのが増えている。例えば、明らかにその人のミスで入稿が遅れたり、連絡が食い違ったりしていても、絶対にそれを認めない。なかったことかのようにふるまい続ける。その認めない様子には、何か人をぞっとさせるものがあったりする。
 そういうほうが奇妙だし、近年の、そういう人の多さも奇妙だ。】

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 「とても普通の人だった」というのは、なんだか不思議な表現だなあ、とか僕は考えてしまったのです。
 近年、一点だけすごく変な人が増えていると思いますか?と言われると、僕もなんとなくそんな気がします。
 日頃は真面目なのに、なぜか自分の仕事についてありもしないようなウソを並べ立てる同僚とか、一風変わった性的な趣味を持つ人、こういう人たちは、僕の周りにもけっこういるのです。
 「完全に変な人」というのが増えているかどうかは、僕は仕事柄、社会的にそう思われている人たちと接する機会が多いですから、ちょっとよくわからないのですが。
 でも、「普通なのに、どこかヘン」という人は、確かに多いですよね。他人のことは言えないかもしれないけれど。
 ひとつは、価値観の多様化によって、「他人と違うことは個性である」という意識が高まっていることもあるでしょう。
 一昔前だったら、「それはおかしい」ということで親や周囲から矯正されていた行動や思想は(日本で言えば、性同一性障害なんて、そうですよね。身近なところでは、敬語を使わない喋り方、とか)、かなり「個性」として矯正されなくなってきています。
 「それでも生きていくのに困らない」というのは、ひとつの考えかたではありますけど。

 ただ、ひょっとしたら、「口元を隠し続けている人」なんてのは、前歯が折れてしまって恥ずかしかったとか、何らかの原因で自分の口臭が気になっていたとか、いろいろ事情はあったのかもしれないので、「自分の間違いを認めない人」とはちょっと違うのかな、などという気もします。

 僕は最近「とても普通の人」というのはごく少数で、人間だれしも「少しずつヘン」なのだと思っているのです。
 だって、よく新聞なんかに載る「平均的な日本人」なんて調査結果に完璧に当てはまる人は、現実にはものすごく少ないでしょうし。
 実際は、少しずつみんな、枠から外れているんですよね。

 「どこまでがヘンで、どこまでが個性か?」なんていうのは、非常に難しい問題だと思います。
 ただ、他人に迷惑をかけるような「個性」については、あまり周囲の人や社会が寛容になりすぎるのもどうかなあ、という気もするんですよね。