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2003年12月20日(土)
「子どもの泣き声」に対する「街の寛大さ」の違い

「人生を変える旅」(蔵前仁一編・幻冬舎文庫)のカイロ(エジプト)在住の日本人女性のレポートより。

【日本へ帰ってきていちばん困ったことは、この国では子どもの泣き声は騒音だということだ。あんまり家の中でうるさいと、母はご近所に迷惑がかかるといっておろおろする。父と母ふたりだけの静かな生活だったから、豆台風の上陸にあわてたようだ。
 カイロではそんなこと心配したことがなかった。なにしろ、昼寝中だろうと真夜中だろうと、アザーンは日に五回音量めいっぱいのスピーカーから響いてくるし、毎週のように結婚式だといっては生バンドが路上で歌えや踊れやの大騒ぎ。葬式といっては死者を弔うコーランが鳴り響く環境だったから、子どもの泣き声や叫び声などかわいいものである。それに子どもの多い国だ。うるさいなんて言っていたら生活できない。我が家から出る音に神経をピリピリさせているより、外の騒音を我慢するほうがわたしには楽だった。
 もっとも、子持ちになる前はなんてうるさい街なんだろうと否定的に考えていたが、自分が騒音を出す側になって初めてカイロの寛大さに気がついた。】

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 僕は子どもというのが基本的に苦手で、交通機関の中やデパートなどで泣いたりわめいたりしている子どもを見ると、「親はもっとしっかりしつけないとダメだよ…」なんて日本の現状を内心憂いたりしているのです。
 「子どもは純粋」なんていうのは、「甲子園に出場している球児はみんな真面目な高校生」というのと同じような大人の勝手な幻想で、現実の子どもたちは、子どもなりの邪念を持って生きているのだと思いますし(もっとも、その邪念は大人にとっては「かわいいもの」のレベルなのかもしれませんが。
 でも、このカイロ在住の方の文章を読んでいると、今の日本の社会というのは、子育てをする側にとっても大変なんだろうなあ、という気がします。
 「昔の親は、もっと躾が厳しかった」なんて言うけれど、その一方で、子どもがいることによって起こりがちな周囲への「迷惑」に対して、昔の大人たちは、現代人より圧倒的に寛容だったのではないでしょうか?
 時代が変わっても、子どもが急に泣かなくなったり、騒がなくなったりすることはありえませんから、むしろ、周りの受け止め方のほうが変わってきているのかな、という気がするのです。
 ひとつは、昔(といっても、日本では戦前〜戦後から、オイルショックくらいまで)は、日本人も子沢山で、近所づきあいなどもあり、「自分のところも同じだから、お互いさま」ということで、相手に対しても寛大に接さざるをえなかった、ということ。そして、アパートやマンション住まいの人が多くなり、家庭同士の物理的な距離は近づいたにもかかわらず、心理的な距離は遠ざかっていること。
 あの「ピアノがうるさいから」と言って、隣人の家に押し入って暴挙におよんだ男の事件くらいから、とにかく、「周りに迷惑をかけないようにして暮らす」というのが、都市部では絶対条件になってしまったのではないのかなあ。
 確かに、子どもの泣き声ってうるさいし、疲れているときには勘弁してくれって気分になりますけど、もう少しだけみんなが「子どもが出す音」に対して寛容にならないと、日本の少子化傾向は改善されないだろうな、と思います。
 「うちは子どもがいないから」と言っても、子ども時代の無い大人はいないわけですし。
 本当は、満員電車に乗ったり、狭いアパートに住んだりしなくてよければ、そんなに気にならないことなのかもしれないけれど。