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2003年12月17日(水)
プロ作家と「書くのが好きな人」との間の壁

「向田邦子の遺言」(向田和子著・文春文庫)より。

【姉の子供時代の思い出がたくさん描かれているこの本には、戦時中に亡くなった祖母もしばしば登場してくるが、その紹介の仕方が、また凄い。
<祖母は、今の言葉でいえば、未婚の母であった。父親の違う二人の男の子を生み、その長男が私の父である。したがって、私自身のホームドラマには、祖父は、欠落して、姿を見せない。年をとってからは、よく働く人であったが、若い時分は遊芸ごとを好み、母が嫁いできてからも、色恋沙汰のあった祖母であった。
 見たい芝居、着たい着物、食べたいもの、そして好きな人には、自分の気持ちを押えることが出来ず、あとさきの考えなくそれを先にしてしまう。あとから、倍の苦労がくることを考えないところがあったらしい。
 長男である父はそういう母親を最後まで許さず、扶養の義務だけは果たして死に水を取ったが、終生、やさしい言葉をかけることをしなかった>(「あだ桜」からの引用)
 ヒェーッとは、このことだ。
 いくら死んでしまった人だとはいえ、ここまで書いていいのだろうか。最近ハヤリのプライバシーということを持ち出して叩かれたら、文句いえないのじゃないか。
 祖母や父はすでにこの世にいないからいいかもしれないけど、ここまで家系を暴かれた子孫は、面白がる人よりも憤慨する人のほうが多いに決まっている。】

〜〜〜〜〜〜〜

 向田さんが祖母、父親について書かれたこの文章は、まさに名文だと思います。それにしても、身内に対して、なんという突き放しっぷり!

 【長男である父はそういう母親を最後まで許さず、扶養の義務だけは果たして死に水を取ったが、終生、やさしい言葉をかけることをしなかった】

 この一文だけで、お父さんが「責任感は強く厳格だったけど、他人に対して寛容になれない人だった」ということがひしひしと伝わってくるのです。
 おそらく、この文章を読んだ読者は、向田さんのお父さんに対して、少なくとも好感は抱けないのではないでしょうか。

 作家、とくに私小説的なものを書く人には、ある種の「覚悟」が必要なのでしょう。自分や身内のプライバシーを晒す覚悟や自分の行動に対して批判を受ける覚悟。あくまでも「作品として独立したもの」と主張したとしても、売れてしまえば読者は「モデル探し」をするものですから…
 文章で生計を立てていくというのは、文章力のみならず、そういうものを引き受けていくという厳しさもあるのだと思います。僕だって、自分のことがこんなふうに書かれていたら、いい感じがするわけないですし。
 作家自身は印税や名声を手に入れられるのですから、多少は泥をかぶってもいいかもしれないけど、モデルにされた人たちは、人の噂のネタにされるだけで、ほとんど何もメリットはないですからねえ。

 作家であれば、匿名で本を出して印税をもらうことはできませんが(もちろん、エラリー・クイーンのように、ペンネームで経歴秘密というのも不可能ではないかもしれないけれど、最近は、作家のキャラクターも含めて作品が売られることがほとんどです)、ネットでは、こういうプライバシーに関するリスクが比較的少ない形で誰でも「みんなに読んでもらうための文章」を書くことができるのです。
 でも、プロ作家と「書くのが好きな人」との間の壁というのは、文章力のみならず、こういう「覚悟」みたいなものもあるんでしょうね。

 実際、こんな文章を淡々と書いてしまう向田さんに対しても、僕は「冷たいというか、徹底的に客観的な人だなあ…」なんて感じてしまいましたし。