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2003年12月16日(火)
あなたにだけは言われたくない「大量破壊兵器疑惑」

時事通信の記事より。

【広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の復元機が、15日から開館した米スミソニアン航空宇宙博物館新館(バージニア州)で一般公開された。米国の反核団体メンバーは、原爆被害の実態を説明しない展示に反発して復元機の前で抗議行動を行い、館内は一時混乱、警察官も出動する事態になった。広島、長崎などから訪れた被爆者団体の一行も館外の抗議集会に参加、被害の実態を訴えた。
 被爆者で広島県原爆被害者団体協議会の坪井直事務局長(78)は記者団に「一言で言えば、こんちくしょうという気持ちだ。本当は大声を上げて(博物館を)しかり飛ばしたい」と心情を吐露。「エノラ・ゲイを展示するなら、被害の状況も展示してもらいたかった」と悔しさを訴えた。 】

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 「イラクは大量破壊兵器を保持していたのか?」
 サダム・フセイン元大統領が拘束され、イラク戦争の正当性について、あらためて検証されることになるでしょう。
 僕は自衛隊のイラク派遣については、「復興支援のためなら、日本の代表として頑張ってきてもらいたい」と応援したい気持ちなのですが、やはり、「なぜイラクが攻撃されたのか?」という点については釈然としないのです。
 「クルド人虐殺」というのは、サダム・フセインの罪であって、イラク人全体の罪なのだろうか?とか、圧倒的な戦力を持つアメリカ軍がイラクに対して行った行為は、「戦争」というより「虐殺」に近いものではなかったか?とか、あらためて考えてしまいます。
 どこまでが「戦争」なのか?という線引きは難しいものだと思うけれど。

 だいたい、「世界でいちばん大量破壊兵器を保持している国」というのは、他ならぬ「自由の国・アメリカ」なのですが、そのアメリカが他の国に対して「お前の国は大量破壊兵器を持つな!」と言うことに、どこまで正当性があるのでしょうか?
 その一方で、アメリカという強大な力のおかげで、小国間の軍拡競争を抑止できる、というメリットだってあるのかもしれませんが。

 アメリカは現在「世界唯一の大国」であるわけなのですが、だからといって、アメリカのやることがすべて正しい、といわけではありません。
 今回のスミソニアン博物館での展示に関しては、被爆者団体の言い分は、僕からみれば至極もっともなことだと思います。
 エノラ・ゲイを展示するなら、原爆の被害(アメリカ側からすれば、「威力」」のでしょうが)も同時に展示すべきではないでしょうか。
 以前、アメリカで「原爆展」が開催される予定が「内容がショッキングすぎる」ということで中止されたことがありました。確かに、アメリカ側の気持ちもわからなくはないのです。
 原爆を落としたのは、アメリカ軍の一兵士に過ぎませんし、彼らは、兵士として上官の命令に従っただけでしょうから。そして、彼らに命令した人間は、アメリカの「英雄」ですし、非人道的な兵器を使ってでもでも戦争を早く終わらせたかったという動機もあったのでしょう。
 それでも、あの原爆による被害の写真や映像、遺留物を見た人間は、「原爆を落とした人間」や「原爆を落とさせようとした人間」について、なんらかの負の感情を抱かずにはいられないと思います。
 アメリカ側からすれば、戦争の記憶が生々しい時代に「仲間を売る」ということに躊躇するのは、やむをえないところもあるのかな、という気もするんですよね。

 でも、第2次世界大戦が終わってから、もう60年近くが経っています。
 そろそろ、みんなの記憶が薄れてきていると同時に、客観的に「原爆が人間にもたらしたもの」というのを見られる時期なのではないかとも感じるのです。
 誰が悪いというより、「こんなものが人間に必要なのか?」ということをもう一度考えてみてもいいのではないでしょうか?
 「核の抑止力」というのは、あまりにも強者の論理だと思いますし。

 今の日本は、ブッシュ政権によるアメリカの小型核(広島型の3分の1の威力「しか」ないそうです。それで何人殺せるんでしょうか?)の開発予算計上に対しても「遺憾」しか表明できない国です。
 相手がどんなひどいことをやろうとしていても「残念」としか言えないなら、その関係は「友人」というより「奴隷」でしょう。
 アメリカがやろうとしないなら、日本政府が後援して、原爆被害の巡回展をやればいいのに。
 それができる国は、世界で日本だけなのですから。

 たぶん、多くのアメリカ人は「核兵器が悪いと思っていない」というよりは、単に「よく知らない」だけだと思うのです。
 原爆資料館に行っても「原爆は人類に必要だ」とか言うようなら、目も当てられませんが…