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2003年12月06日(土)
帰ってきた「インベーダー」と帰れない僕

毎日新聞の記事より。

【インベーダーの逆襲?――。タイトーは5日、1970年代後半に一世を風靡した業務用ゲーム機「スペースインベーダー」を来年1月から25年ぶりに再出荷することを明らかにした。携帯電話向けなどのゲームソフトで、インベーダーゲームが「音やキャラクターが斬新」と若者に受けていることから、人気復活が見込めると判断した。

 再出荷するのは、当時とまったく同じゲームを搭載したゲームセンター用の業務機。利用者が立ってゲームをする方式を採用する。すでに米国向けには今月から出荷を始めており、最初の1年間で、国内外で1万台の売り上げを見込んでいる。

 インベーダーゲームは78年に登場。社会現象になるほどのブームとなり、生産中止となる79年までに累計で国内に30万台、海外へは6万台が出荷された。生産中止後は家庭用ゲーム機向けの定番ソフトとして販売が続けられてきた。タイトーによると、発売25周年を今年迎えるのを機に、携帯電話でのゲームソフト事業を強化したところ、携帯電話でダウンロードして遊ぶソフトとして国内外で人気が急上昇しているという。

 タイトーでは「当時遊んだ方には懐かしさを、若者には新しさを楽しんでもらえると思う」として、復活に期待を寄せている。】

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 タイトーさんが、どの程度本気で、「スペースインベーダー」を復活させようとしているかはわかりませんが…

 1970年代後半、ちょうど僕が小学生の頃、このインベーダーゲームは大ブームを巻き起こしていました。いい年した(と、当時の僕には見えた)大人たちが、テーブル型のゲーム機の上に100円玉を積み上げ、ちょっと猫背になってドッドッドッ、ピキーン、ピキーンという音のする画面を一心不乱に見つめている光景をよく覚えています。
 そして、なんといっても僕たちにとってインパクトが強かったのは「ゲームセンターあらし」でした。天才ゲーム少年・石野あらしとライバルたちとの死闘は、僕のようなインドア系小学生に対して、すごいインパクトがあったのです。
 だって、野球マンガとか読んでも、「運動神経も良くないし、根性もない自分」と比べてみると、なんとなく引け目を感じて、別世界の出来事みたいだったですし。
 でも、ゲームの世界は違いました。まだ未開拓だったこの世界では、僕でもヒーローになれそうな気がしたんですよね。そんなに運動神経良くなくてもできそうだったし。
 現実には、ゼビウスで一千万点も出すような人たちは、別の意味で「人間離れ」していたわけなのですが。
 たぶん、「ゲームセンターあらし」を読んていた僕と同じくらいの年齢の人は、一度は「炎のコマ」とかを「インベーダー」で実践して、すぐにやられて悲しい思いをしたことがあると思います。さすがに、「ムーンサルト」とか「水魚のポーズ」とかは、物理的にムリ&恥ずかしくて、やっている人を見たことはありませんが。
 考えてみれば、「コンピューターの処理速度を越えるレバーの動きで、バグを起こさせて高得点!」という「炎のコマ」も、今から考えれば、百歩譲ってバグを起こせたとしても
、そんなこっちに都合の良いバグなんて起こるわけないんだよなあ、あはは。

 社会にとってまだまだ異物だった「テレビゲーム」は、金食い虫であったこともあり、PTAからも「インベーダーは不良がやるもの」というレッテルを貼られて、ゲームセンターには補導員が巡回するようになりました。
 確かに、当時の僕たちにとっては、1回100円というのはかなり高価な遊びで(しかも、ヘタするとすぐ終わっちゃうし)、ゲームセンターでのカツアゲなんかも多かったみたいですし。
 あの頃は缶ジュースが1本ちょうど100円でしたから、「ゲーム1回と缶ジュース一本」を天秤にかければ、「ゲーム」を選ぶのは、やっぱり勇気が要りました。
 それでも、「補導員に見つかるかもしれない」というスリルも含めて、当時の僕たちには薄暗くて電子音が響くゲームセンターは、夢の空間だったのです。
どんどん進化していくゲームの画面を見ていくだけでも、けっこう楽しかったし。

 結局僕は、そのままゲーマー人生を歩んでいるわけですが、今、当時の「スペースインベーダー」で遊んでも、あんまり面白くないような気がします。
 それはたぶん、グラフィックが劣るとかそういうことだけじゃなくて、今のカップルだらけの明るいゲームセンターでは、当時のような「アウトロー感覚」が味わえないから、なのでしょう。