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2003年12月04日(木)
国語の教科書の隠れた「影響力」

時事通信の記事より。

【世界中で大人気のハリー・ポッターが、フランスの中学の国語教科書に取り上げられた。勉学に対する子供の興味を引こうというわけだが、親の中には反対論も出ているようだ。
 ルモンド紙がこのほど報じたところによると、掲載されたのはハリー・ポッター・シリーズの第3作、「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」の仏語訳の一文。英語からの訳のため、文体の勉強ではなく、登場人物の心理描写など内容読解が中心となっている。また、著者のJ・K・ローリングさんの写真もアレクサンドル・デュマらフランスの文豪と並んで載っているという。
 しかし、親の1人は「子供を熱中させるものを選ぶという狙いは理解できるが、フランス文学の中に素晴らしい作家はたくさんいる」と指摘。わざわざハリー・ポッターの訳を教科書に使う必要はないと批判的だ。】

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 まあ、「批判的」というよりは、ここでコメントしている親が、個人的にハリー・ポッターが好きじゃない、ということなんでしょうね。「フランス文学」にこだわるところは、いかにもフランス人らしい感じです。「ハリー・ポッター」なんて、イギリス女が書いたくだらない娯楽小説だとか、思っている人もいるのでしょう。
 よく「中国人とフランス人は、自分の国が世界の中心だと思っている」なんて言われますし。
 (最近はアメリカ人もそんな感じがしますけど)
 そういう意味では、日本人というのは海外の文化に対して、かなりリベラルな民族なのかもしれませんね。
 むしろ、自国の文化を低く評価してしまう傾向があるくらい。
 1年ほど前、ボストン美術館(この美術館は、日本美術のコレクションで有名なのです)に行ったときに、日本の有名な画家の浮世絵がズラリと並んでいるのを見て(しかも、その展示室には、ほとんど人が来ていない)、ちょっと悲しくなりました。もちろん、この美術館ではこれらの日本文化が日本国内で評価されていなかった時代でも、その価値を認めて護りつづけていてくれたのですから、感謝しないといけないとは思うのですが。
 ちなみに、一番人気は「ヨーロッパ近代画家の部屋」だったんですよね。ピカソとかルノワールとか。こういうのは、世界中どこでもあまり変わらないのかな。

 だいぶ脱線してしまいましたが、確かに国語の教科書というのは、子供にとってはもっとも身近な「文学への入り口」なのです。他の教科書と違って、けっこう面白かったし。小学校時代などは、退屈な国語の授業中に、よく他のページに載っている小説を読んでいたものでした。
 僕にとって、教科書に載っていた作品でいちばん印象に残っているのは、宮沢賢治の「やまなし」という小説でした。「クラムボンはくぷくぷ笑ったよ」…クラムボンって何?と、当時はけっこう悩んだものです。解説には、「とくに意味のない造語」とか書いてあって、当時の僕はものすごく困惑させられたものでした。今だったら、「ならどうでもいいや」で済む話なんですが。

 もうひとつ、記憶に残っているのが、夏目漱石の「こころ」なのです。
 けっこう長い小説ですから、教科書に載っているのはほんの一部なのですが、なんというか、この小説で描かれている人間のプライドとか打算とか恋愛感情というものの複雑さ、なんていうものは、当時の僕にとっては、まさに「オトナの世界」そのものでしたから。「高等遊民」なんて言葉も、なぜかものすごくインパクトがあって。
 結局、続きが気になった僕は、「こころ」を図書館で借りたのですが、それをきっかけに漱石の作品をけっこう沢山読みました。図書館に行けば、自然と他の本も読んでみようかな、という気持ちになるものですし。
 しかし、今から考えると「こころ」をあの年頃の子供に教えるのは、先生たちにとっても難しかったのではないでしょうか、きっと。

 僕は、教科書に「ハリー・ポッター」でもいいと思うんですよ。さすがに一冊まるごと「ハリー・ポッター」ではどうかな、という気はしますけど。
 「面白いもの」を取り入れていくというのは、子供たちにとって、本を読むきっかけになる可能性を高める意味で、良いことなのではないでしょうか?
 教科書の中に「ハリー・ポッター」と一緒に「面白いフランス文学」も混ぜておけば、きっと興味を持つ子供もいるでしょうから。