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2003年12月03日(水) ■ |
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本当は、「クレームをつけない人」のほうが怖い。 |
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「社長をだせ!実録・クレームとの死闘」(川田茂男著・宝島社)より。
(ある有名カメラメーカーでクレーム処理のエキスパートと呼ばれていた著者が、いわゆる「クレーマー」をいくつかのタイプに分類されているのですが、その最後に、この「泣き寝入り型〜クレームをつけない」を挙げられています。)
【私のいたサービスセンターでも最近こんな例がありました。 「あの人また来てるよ。いい人なんだよな。これで何度目かな?」 「この前はマリちゃんがやってたから、もう五、六回になるんじゃないの」 と、こんな会話が所内に飛び交っていましたので、 「どうした、いい人だからってほっとくなよ」 と言いながら事情を聞きますと、カメラが何度も故障して修理が続いているということでした。担当者の話では、三回故障した時点で新品と交換したのですが、その後も故障が重なり、今日でまた三回目の故障だとのことです。 「ええ?そんなカメラ大丈夫か?修理で行けるのか?お客さんと話をしているのか?」 と尋ねますと、担当者は、 「あのお客さんはいい人だから大丈夫ですよ」 と、今日も甘えて修理で預かると言っております。
(中略)
お客様が何も言わないからといって、放っておいたら、どんどんそのメーカーから離れていってしまいます。こうしたことは、結果がすぐに目に見えて現れないだけに、最も注意を要する問題であり、言い換えれば最も厳しいクレームと言わざるを得ません。】
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この文章を読んで、僕は以前、ある病院で外来をやっていたときのことを思い出しました。近辺に大きな病院が無いため、その病院の外来はいつも患者さんが多くて、大混雑だったのです。 僕らは、その患者さんを順番に診察していくのですが(もちろん、急患や具合の悪そうな患者さんは優先的に診ることになります)、中には、ものすごく状態は良さそうなのに、待たされていることに対して御立腹される方がいらっしゃるのです。 「どのくらい待たされてると思ってるんだ、早くしろ!」と看護師さんに息巻いて怒鳴ったりしはじめます。 まあ、多くの場合はベテランの看護師さんが「順番ですから」となだめて一件落着となるのですが、それでも「仕事がある」とか「忙しい」というように言われる場合、看護師さんが「急がれていますので」と言って、診察の順番を入れ替えてしまうことがありました。 診察室で休みなしに働いている僕としては、そういう操作には腹が立ちますし、「順番なんだから、仕方ないだろ」と言ってやりたいのはやまやまなのですが、看護師さんの立場もわかりますし、結局、トラブルを恐れ、待っている患者さんたちの善意に甘えて、唯々諾々とそういう操作を受け入れてしまっていたんですよね。 そして、そのワガママな患者さんは自分が「特別扱い」してもらったことに満足し、多くの「いい人」である患者さんは順番をとばされる…
「いい人」というのは、結局損ばかりさせられて、いわゆる「クレーマー」がいい目をみることって、現実にはけっこう多いのではないでしょうか? そして、そのクレーマーという人種は、「自分がクレームをつけたおかげで、こんなに得した」なんてことを吹聴してまわるのです。 この世界の人々がみんなクレーマーになったら、世の中うまく回っていかないはずなのに。
もちろん、文句を言うべきところは言っていいと思います。 でも、あまりに個人の都合に偏ったクレームで「ゴネ得」をしている人やどんな理不尽な扱いを受けてもガマンしてしまう人を見るたびに、現実というもののやるせなさを感じずにはいられません。
ただ、僕はいつも内心思うのです。 本当に怖いのは、「黙っている人たち」だぞ、って。 「怖い」というのは、自分が被害を受けるという意味ではありません。 黙って受診している人たちというのは、こちらをものすごく信頼しているか、文句を言うにも値しないと思っているか、それとも、性格的にクレームをつけるというのを潔しとしない人たちです。 そういう患者さんは、自分の症状に対しても限界までガマンをしてしまいますし、こちらの対応に不快感を覚えれば、黙って他の病院に移ってしまいます。信頼してくれる患者さんには、こちらも一層の誠意で応えたいですし。
これは、サイトでも言えることだと、僕は考えています。 「あなたにとって、メール一通は、アクセス何カウント分に相当しますか?」というサイト管理人への有名な質問があります。 でもね、実際は「メールを送る人たち」というのは、「サイトに感銘を受けたから」だけではなくて、「自分が誰かにメールを送りたいから」だけの人もいるんですよ、たぶん。 それで、「いつも楽しみに読んでいる人」とか「内容に文句を言いたい人」の多くは、「メールを送るほどじゃない」と考えているか、「メールをサイト管理人に送る習慣がない」のだと思うのです。 それは、考え方や習慣の違いだけで、善悪の問題じゃなくて。 アクセス数という「数字」にしか現れない存在でも、それは、確実に「読んでくれている人」の指標なわけですから。 もちろん、意見を声に出してくれる人、というのは貴重なのですが、僕は、同じように「何も言わないけれど、ずっと読んでくれている人」を大事にしたいと思っています。 いや、別に皆様に何かできるというわけじゃないんですが、大きな声や強い言葉だけに惑わされないように、って。
「活字中毒R。」が、そういう「日常の合間に読んでいただいている普通の人々」にも届いているといいなあ、と心から願いつつ。
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