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2003年11月29日(土) ■ |
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いくら「その続きはつまらないよ」と言われても |
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「人生を変える旅」(蔵前仁一編・幻冬舎文庫)より。
アフリカのガーナ在住の女性からのレポートの一部(1995年)
【ここでも、やはり私はそこら中の人から「おしん」と呼ばれます。さらにここでは今二回目の放送中なんですが、何故か一回目は最後までやらず、また最初から始まったらしくて皆が最終回の様子を聞いてくるのですが、私は全然憶えていなくて困っています。 ガーナの放送局にお金がなくて、最終回まで買えなかったんじゃないかと言っているガーナ人がいましたが、私は最初の方の苦しい時代ばかりを見せて、日本でもこんな時があったんだってことを政府が言いたいのかも、なんて思ったりしましたが。】
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このレポートから8年くらい経っているわけですが、果たして、ガーナの人たちは「おしん」の最終回を観ることができたのでしょうか? 僕を含めて、大部分の日本人にとって、「おしん」で記憶に残っているシーンって、小林綾子さん演じる「おしん」が、「大根めし」を食べているシーンだと思うんですよね。 視聴率も、そのころがピークでしたし。 物語の後半部は、「そういえば、佐賀の姑がおしんをいじめたばっかりに、佐賀県の評判が悪くなったよなあ」とか、なんとなく思いだすくらいで。 この話を聞いて最初に思ったのは、「おしん」の後半はあんまり面白くないから、別に観なくても(むしろ、観ないほうが)いいんじゃない?ということでした。 でも、よく考えてみると、シリーズものなんかで、「面白かったのは前半だけ」とかでも、もしそれが前半だけの話だったとしたら、それはそれで物足りないものなんですよね、きっと。 例えば「マトリックス・レボリューションズ」も、あまり評判が良くないようなのですが、もし、「リローデッド」で、「マトリックス」は終わり、ということになっていれば、やっぱり尻切れトンボというか、すごく消化不良な感じが残ったと思います。 「不完全」という言葉でしか、「マトリックス」は語られなくなってしまうのでは。
物語というのは、完結しているからこそ、「前半のほうが面白かった」とかいう評価ができるわけで、途中で終わってしまったら、犯人がわからない推理小説のようなもの。 「観てもガッカリだよ」といくら他人に言われても、やっぱり自分でガッカリしたいのが人情というものみたいです。
「ターミネーター3」は、「やめとけば良かったのに…」と心から思いましたけど。
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