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2003年11月28日(金) ■ |
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女性には向かない職業? |
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共同通信の記事より。
【将棋のプロ養成機関「奨励会」で、ただ1人の女性棋士だった岩根忍1級(22)が27日までに、日本将棋連盟に退会届を提出、受理された。岩根さんは最近、不振が続いたほか、昇段の年齢制限(23歳)の壁が近づいたことなどから退会を決意したとみられる。奨励会でプロ棋士を目指す女性は不在となった。 将棋のプロには、男性に交じって戦い、奨励会を経てプロ棋士となるのと女性だけを対象とした女流プロの2つがある。両者は全く別の組織で、男性の中で勝ち抜き、プロになるのが夢といわれていた。 連盟によると、奨励会会員は約150人。女性棋士不在となるのは最近では1990年から約3年間あった。関係者は「とても残念。男性ばかりの世界で1人で戦うプレッシャーもあったのだろう。連盟としては女性棋士のすそ野を広げる努力も続け、長い目で女性プロの誕生を待ちたい」と話している。 岩根さんは94年度女流アマ名人戦で優勝し、95年に6級で奨励会に入会。関西を中心に活躍し、2001年に奨励会の現行制度では女性の最高記録となる1級に昇級、将来を期待されていた。】
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最近ずっとテレビで放送され続けている「ワールドカップバレー」を観ていて、僕はやっぱり思ってしまうのです。 「女子の世界一のチームでも、男子のワールドカップに出るレベルのチームには、かなわないよなあ」って。 画面越しにですが、ボールのスピードの違いは歴然としたものですから。
こんなふうに、バレーボールならわかるのです。 男性と女性の間には、やっぱり「違い」があります。 スポーツ選手として体を鍛えたときに筋肉のつき方や筋力のピークが違いますし、背の高さや骨の強さの平均値だって異なるのです。 これは、「生物学的事実」であって、動かしようの無い事実。 人類の遠い将来にはどうなっているかわかりませんが。
でも、こういうスポーツの世界で、ある程度「性差」があるのはやむを得ないとして、「将棋」という世界で、こんなに男女が活躍する機会に差があるのはなぜでしょうか? 将棋の駒は、男女で重さが違うわけではないし(まあ、違っても影響ないですが)、男女でルールは同じです。 身体的な要因というのは、ほとんど影響しない競技のはず。 それでも、今のところ、男性優位の状況がずっと続いているのです。 もっとも、プロ棋士ともなれば、何時間も将棋盤の前で次の一手を考えたりしなければならないこともありますから、体力(というか集中し続ける持久力)は必要でしょうし、もともとの競技人口が違うから、なのかもしれませんが。
それにしても、「将棋」って、こんなに「性差」が出るようなものではないような気がするんですよね。卓越した女性棋士なら、男性の名人と互角に渡り合う人が出てきてもおかしくないんと思うんだけどなあ… それとも「女性は勝負事には向かない」のでしょうか?
僕が以前、ある後輩の女性医師に「どうして医者になったの?」と尋ねたときに、彼女はこんなふうに答えてくれました。 「女で一生勉強しながら働けるような仕事って、よくよく考えると、医者か学校の先生くらいしかないと思ったんですよね」って。 そう考えると、将棋の世界で女性が活躍できないのは、体力や思考回路の問題だけではなくて、周囲の人の無言のプレッシャーや環境の問題が大きいかもしれません。
しかし、「女性は将棋に向かない」とは、やっぱり僕には思えないんですよね。 羽生さんをはじめ、現在大活躍している若い棋士たちは、そんなに「男性的」な印象がない気がしますし。 もし、男性が女性より将棋に向いているという点があるとすれば、「遊びに対して熱中できる精神的な幼さ」と「職業として将棋を指すことに対する社会的な理解」だけなんじゃないかなあ、と僕は思います。 僕が日頃接している女性については、論理的思考力や記憶力・分析力など、男性との違いを感じることはほとんどないんですけど。 (たまに、頼むからそのくらいで泣かないで、と思うことはあります)
それは、やっぱり「決定的な差」なのでしょうか?
ある有名棋士は、こんなことを言っています。 「兄は頭が悪いから東大に入った。俺は頭が良かったから将棋指しになったんだ」 棋士というのは、本当に選びぬかれた才能の持ち主ですから、男性だってそうそうなれるものではないのですし、「性差」より「個人差」のほうが大きいのは間違いないことなのですが。
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