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2003年11月24日(月) ■ |
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良く言えば「バランス感覚」、悪く言えば… |
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『ファミコン通信・2003.11/28号』の連載コラム「桜井政博のゲームについて思うこと」より。
【さて、わたしがフリーになって初めて、エンターブレインの浜村社長とお会いしました。ファミ通グループの大ボス、と言ったら語弊ありますか? 浜村さんとのお話で、「ゲーム業界のこういうところに問題を感じているんです」と切り出すと、浜村さんは「でも、それにはこんないいところもありますよ」と切り返しました。うん?わたしの感じる問題点は、楽観できるほど小さいものなのかしら?と思ったりもしたものですが、詳しく理由を聞いてみてなるほど、とナットク。 「ほかのメディアやゲーム業界外部の偏見から、ぼくはゲームを守らなければならないんです。悪意を持ってゲームを悪く言う人はいっぱいいますからね。だから、ゲームにはいいところもいっぱいあるんですよ、と切り返せるように、いつも理論武装しているんです」と、浜村さん。わたしはこれを聞いて「あぁ、エラいなぁ!」と素直に感じました。 自分の気持ちを二の次にして、必要に応じてすべてを容認することは、なかなかできることではありません。世の中、ポジティブよりネガティブのほうがずっと強いものです。新聞や雑誌、インターネットなどで無責任に人やものを非難することは、残念ながらおもしろがられる傾向があります。出るクイをわざわざ打ちにくるようないやらしい言動を目の当たりにすると、たとえ人ごとであっても気持ちが萎えることが多くあります。】
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この「ゲーム」ということばは「医療現場」に言い換えることもできるよなあ、なんて思いながら、僕はこの文章を読みました。 専門的な職業において現場の人間が身内を擁護することについて、あまり良い感情を持たれないことが多いですよね。「馴れ合い」だとか、「身内に甘い」とか。 僕だって、警察とか官僚の世界については、「また庇い合いかよ…」とか思うことが多いような気がしますし。 でも、この浜村さんの言葉をあらためて考えてみると、現場のことを知っているからこそ、いろんなシステムの良い面も見えることがあるんでしょうね。 一概に「身内びいき」という色眼鏡でばかり見てしまうのは、逆の意味での「偏見」なのかもしれません。
ところで、僕はけっこうネット上で医療現場で働く人間を擁護することが多いのですが、それは、自分の仕事への愛着であると同時に、自分なりのバランス感覚のような気がするのです。 「バランス感覚」といえばプラスのイメージですが、実際のところは、「世間の一般的な評価」に対して何でも反論してみたいだけなのかなあ、などと。
たとえば、周りの人がみんな「医者って凄いよねえ、尊敬するよ」とか言っているような状況では「普通の人間だよ」と言ってみたり、「医者なんて金のことしか考えてない」とか言われれば、「金のためだけに医者なんてキツイ仕事はやってられない」なんて言い返してみたり。 もし、現在が医者が尊敬されている時代であれば、僕は「医療現場告発サイト」とかをつくっていたかもしれないなあ、と想像することもあるのです。
まあ、現在の状況では、いずれにしても「医療現場告発サイト」を立ち上げる機会には恵まれそうにないですね。 それは、喜ぶべきことか、悲しむべきことか。
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