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2003年10月05日(日) ■ |
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矢田亜希子さんの「理想の家庭」 |
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日刊スポーツの記事「日曜日のヒロイン<382>」矢田亜希子さんのインタビューより。
【理想の家庭は、自分の平和な家族という。平和とは何でも隠さずに話せることだとも言う。 インタビュアー「恋の悩みも家族には話すの?」 矢田「します。します。恋の悩みでも何でも話します。今日1日の出来事をただ話すだけでなく、すてきな人がいるとか。家族はみんなそういうことを知っています。もし特別なことがあったら『今日はこういうことがあった』と話すかもしれないし…。」】
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「します。します。恋の悩みでも何でも話します。」かあ… 子供の頃から、「今日、学校で何かあった?」と親に問われても「ううん、別に何も…」としか答えなかった僕にとっては、なんだか羨ましい気がする話です。 自分がオトナになるまでは、「理想の家庭というのは、会話がもっとあって、日曜日は家族みんなで庭でバーベキュー」みたいなイメージを持っていましたし、「親に何でも話す」という人には(まあ、男にはそういうヤツは、あまりいないわけですが)、妙な憧れがありました。 しかし、オトナになっていろんな人と話をしてみると、結局、そんな「絵に描いたような理想の家庭」なんて、まさに「絵の中にしか存在し得ない」ようなものなのではないかなあ、という気がします。 一見、家族に愛されて育っているように見える人が家庭に難しい事情を抱えていたり、文句ばっかり言っているような人が、意外とそれがストレス解消になるのか、それなりに仲良しの家族であったり… 基本的に、「お金を稼ぐ」という行為と「家でのんびり過ごす」という行為は相反するものですし、物質的に生活をラクにしようと思えば、プライベートな時間を犠牲にしないといけないこともありますし。 どんなに仲がいい恋人同士でも、お互いに対して不安を感じたことがない、なんてことがほぼ100%ありえないように、家族の絆なんてのも、実際は危ういバランスの上に成り立っていることがほとんどなのですよね。
今から振り返ってみると、僕の親は、きっと自分の子供を「自分のことを話したがらない人間」だと認知していたような気がします。 そしておそらく、そういう面を尊重していてくれたのかな、とも。 逆に、僕が親になって、「何でも話してくれる自分の子供」というのができたら、すごく違和感を感じてしまうのではないかなあ、という気もするのです。 「お前、そんなになんでもかんでも親に話すな!」なんて。
まあ、家族というのは、いろいろな形があるんですよね、きっと。 どういうのが正しい、とかじゃなくて。 それは、自分がオトナになってみないとわからないこと。
他の家族はさておき、矢田亜希子さんのような娘がいたら、お父さんは「頼むから、父親の前でだけはオトコの話は止めてくれ…」とか思っているかもしれないですけど…
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