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2003年07月23日(水)
嫌いな男の理由、好きな男の理由。

「作家の花道」(室井佑月著・集英社文庫)より。

【主人公の彼氏のキャラクターが弱い、とまた叱られてしまった。主人公を殴ったり犯したりする脇役の男に関しては、リアルで気持ち悪いといつも誉められる。これは仕方のないことだと思う。嫌いな男には、なぜ嫌いなのかはっきりとした理由がある。だけど好きになる男には、理由なんて必要ないからだ。なんとなくという場合が多い。あたしはそうだ。】

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 僕の場合はどうだろうか?と考えてみたのですが、確かに、僕も室井さんと似た傾向があるような気がします。
 嫌いな人については、「贔屓ばかりして、公正じゃない」とか、「自分のことばかり考えて、他人の話を聞こうとしない」とか「とげとげしい喋り方が嫌い」とか、いろいろと言葉で説明できるんですよね。まあ、それをわざわざ、他人の前で口にするかどうかは別として。
 でも、自分が好きな人、もしくは好みのタイプの人って、確かに言葉で説明しにくいような気がします。
 「なんとなく雰囲気が…」とか「気をつかわなくていいし」とか、なんだか、すごく曖昧な表現になってしまうのです。
 これって、食べ物と言葉の関係にも似ていて、不味いものに対しては、人間けっこう饒舌になりがちで、「〜の腐ったような」とか「口に入れただけで吐きそうな」とか説明もできますし、話のタネにもなるんですよね。
 でも、美味しいものをうまく言葉にする、というのは難しくて、誰かと、ものすごく美味しいものを食べていても「これ、美味しいね!」「うん、美味しい」などと、途端に語彙が貧困になって、黙々と食べることに集中してしまっったりするのです。

 「キライキライもスキのうち」なんて言葉がありますが、確かに、「大嫌い!」なんて言いながら、その対象のことをけっこう細かく観察している人って多いですよね。
 「そう、あのしぐさがキライなのよ!」って、なら見るなよ…とツッコミたくなったことがある人は、けっこういるはずです。
 でも、キライな人って、やっぱりついつい目がいってしまって、自分がやっぱりその人をキライであるということを再確認しがちなんですよね。
 「恋は盲目」とは言うけれど、好きな人に対しては何も見えなくなって、嫌いな人に対しては観察眼が鋭くなるなんて、逆だったらいいのにねえ、と思ってしまうのですが。

 「あいつのこと嫌い嫌いって言ってるけど、よく観察してるよなあ、まさか…」なんて、誤解の種にもなりがちなものですし。