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2003年07月20日(日)
ダライ・ラマ14世の「愛情って何?」という問いへの回答。

「ノーベル賞受賞者にきく 子どもの なぜ? なに?」(べッティーナ・シュティーケル著・畔上司訳、主婦の友社)より

(「愛情って何?」という質問に対してのダライ・ラマ14世の回答の一部)

【情熱的な恋愛は、氷の上に建てた家のようなもので、氷が溶けてしまえばくずれてしまうのです。そうなるとおたがいにひどく退屈になってしまいます。最悪の場合には大嫌いになってしまいます。愛しあうのも早いのですが、気持ちがさめるのも早いのです。ですから、これは本当の愛情ではありません。
 カップルの両方からこうきかれたことがあります。「わたしが相手を愛すれば、向こうもわたしのことを愛してくれるでしょうか?」。わたしはこう答えました。「いいえ、ダメです。それでは物と物を交換するみたいになってしまいますからね」
 わたしの考えでは、愛情というのはこういうものとは全然ちがいます。真の愛情は、嫉妬(ねたみ)や先入観(前もって思いこんでいること)などとは無関係なのです。キリスト教のイエスが「隣人愛」(隣近所の人への愛情)と呼んだものに似ているのです。】

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 「愛情とは何か?」というのは、非常に難しい問題ですね。
 キリスト教では、アガペーとエロスというふうに、一般的に「愛」と呼ばれているものをさらに分類したりもしているようですが。
 このあとダライ・ラマ14世の回答は、愛情の基本は、「誰かを好きになること」ではなくて「他人の身になって考えること」や「共感すること」である、というふうに続いていきます。
 
 ところで、カップルの両方から、「わたしが相手を愛すれば…」という質問をされたとき、「それは物と物との交換と同じだ」という答えは、なかなか凄いですよね。
 普通、僕たちが恋愛相談で「どうしたら彼女は僕のことが好きになってくれるかなあ?」なんて聞かれれば、「まず、彼女の気持ちよりも自分が愛することが大事なんだよ、まずは与えることだ!そうすれば彼女もきっと振り向いてくれるって!」なんて答えたりしますよね。
 でも、そういう場合に僕が「そういう発想じゃ、物々交換と一緒だろ?」なんて相談してきた相手に答えたら、たぶんものすごく嫌われるんじゃないかなあ。
 「じゃあ、いったいどうすればいいんだ!」って。
 実際、「物々交換みたいな恋愛」なんてのは、僕たちの周りにゴロゴロしているわけで。
 いや、「物々交換ですらない愛情」のほうが、多いのかもしれません。

今の日本では、宗教というのは、危険で、無意味なものだという考えの人が多いのではないかと思います。僕も、積極的に何かを信じてみようとは思えません。
 でも、こういう話を聞くと、人間が真の愛情を得るには、「神」というものの力を借りなければムリなんじゃないかなあ、という気もしてくるのです。

 僕たちは、「誰からも祝福される恋愛」を手に入れたいと願うのだけれど、僕たちの愛情が成立することが僕のこと、もしくは相手のことを好きな誰かを不幸にしてしまうことだってあるわけですし。そこに全く「悪意」が存在しないとしても。
 だからといって、「好き」なんて気持ちはどうしようもないしねえ。

 それでも、こういう考え方がある、ということは、何かの参考にはなるとは思うのです。
 「勝ち取ることが正義」になりがちの世の中だから。