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2003年06月02日(月)
文章を書くときにいちばん大切なこと。


「論文・レポートのまとめ方」(古郡延治著・ちくま新書)より。
 
【文章は書いて書きっぱなしというのでは困る。だれでも書き上げてみると、何はともあれ、やれやれという感じをもつものだ。レポートなどではこの段階で締め切りがきて見返すまもなく提出してしまうという人が多い。書き終えたときエネルギーを消耗しつくしてしまって、もう読み返してみるのもいやという人もいる。
 しかし、文章で一番肝心なことは一応の完成をみてからの書き換え作業にある。井伏鱒二はあの『山椒魚』を、生涯、何度も何度も書き換えた。
 コンピュータのプログラムでは、仕事の90%を仕上げるのに最初の10%の時間がかかり、残りの10%を仕上げるのに総時間の90%がかかるといわれる。文章を書くときも同じだ。書き終えてからの原稿の書き換えは、時間のかかる大事な仕事である。】

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 これは、論文やレポートなど、正確であることやわかりやすいことが重視される文章の書き方ではありますが。
 僕自身も、自分で書いた文章をあんまりきちんと推敲することはありません。
 時間がなくて、エネルギーを消耗しているというのもありますし、自分の拙い文章をもう一度読み返すのは、けっこう辛いものでもありますし。
 でも、確かに論文とかを書くのって、最後の「ツメ」の部分が非常に大事なんですよね。
 ある程度形式は決まっているから、概要は書けても、肝心の内容(論理的整合性とか、過去の内容との比較)で行き詰ったり、白紙に戻ってしまうことが多いのです。
 あっ、同じようなものが出ている…なんて。

 しかし、論文やレポートでは、読み返して確認しようと思っても、普通にWEB上に書く文章については、僕はほとんど推敲していません。
 もちろん、最初のころに比べて書き慣れてきているというのもあるのですが。
 実際、あとから読み返してみると、けっこう気に食わない部分を見つけてしまったりもします。
 
 井伏鱒二さんが「山椒魚」(僕が小学校時代には、教科書に載っていた短編)を何度も改稿した、という話は、結構有名なのですが、僕は、その話を聞いて、作家ともあろうものが、自分が一度世に出したものを書き換えるというのは、どうなんだろう?と思った記憶があります。
 誤字・脱字の類ならともかく。
 
 でも、自分がこうして、ささやかながら文章を書くようになって、今はなんとなく井伏さんの気持ち、わかるような気がするのです。自分の以前に書いたものを読むと、「今だったらもっと上手く書けるかも」と思ってしまいますし。
 まあ、現実にはどうだか、よくわからないんだけれど。
 WEB上の文章は、出版物より改訂が簡単というのは、ひとつのメリットでしょうし。

 ただ、そんなふうに思う一方、「プロの編集者や校正者によって完璧に推敲されていない、荒削りで未完成な文章」というのは、WEB上のテキストのひとつの魅力のような気もするのですよね。
 もちろん、文章として成り立っていないレベルのものは、論外なんでしょうが。