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2003年05月31日(土) ■ |
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さようなら、ファミコン。 |
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毎日新聞の記事より。
【全世界で計1億1000万台を送り出した任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピューター」と「スーパーファミコン」の本体生産が、部品の確保が難しくなったため、9月で終了することが30日、明らかになった。
ファミリーコンピューターは83年7月に1万4800円で発売され、「スーパーマリオブラザーズ」が世界的に大ヒットするなど、6200万台を出荷。90年11月には「スーパーファミコン」(2万5000円)が次世代機として登場、4900万台を出荷した。
北米ではゲーム機自体が「NINTENDO」と呼ばれ、同社の世界ブランド化に貢献した。86年には「ファミコン」が、流行語になるなど社会現象となった。同社は現在、後継機「ゲームキューブ」に主力を置いている。】
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この記事を読んで最初に感じたのは、「ファミコン、まだ造ってたのか…」ということでした。確かに、初代ファミコンの新しい型(廉価版)も発売されていましたが、今まで(全盛期に比べたら)細々と生産され続けていたんですね。 ビデオのベータなんかもそうなのですが、新しいソフトが出なくても、今までのソフト資産がたくさんありますし、初期に本体を買った人たちは、本体が壊れてしまって、家のゲームで遊ぶには2代目、3代目が必要になる人たちもいるでしょうし。 ファミコン・スーパーファミコンの場合は、後継機が上位互換を持っていないために、前世代機を作り続けなければならなかったという面もあるのでしょう。
それにしても、僕にとっては、ファミコンの登場は衝撃的でした。 ゲームセンターそのままのテレビゲームが家でできる、というのは、夢のような話で。 しかも、カセットを入れ替えることによって、いろいろなゲームができる。 ファミコンは、今のプレステ2やゲームキューブに比べたら、グラフィック・サウンドともに貧弱で、ゲーム自体も単純なものが多かったのです。 でも、当時のファミコンのゲームには、今のプレステにはない、新鮮な驚きがあったような気がするんですよね。 こんな綺麗な絵が描けるのか!とか、こんな音楽が鳴らせるのか!とか、こんなアイディアのゲームがあるのか!っていう。 現在のように、ゲーム機の能力が飛躍的に向上してくると、ゲームで遊ぶ側としても「このくらいはできて当然」というような気持ちになることが多くなり、ゲームで新鮮な驚きを感じられることは少なくなりました。 CD媒体だから、音楽なんかは、普通のミュージシャンの曲がそのまま流せたりするわけですし。 ファミコンに比べたら、初代プレステなんて、まだまだ限界は先にあった機種のような印象すらあります。 そういう意味では、ファミコン、スーパーファミコンっていうのは、ゲームの黎明期を支えると同時に、いわば、先駆者として骨の髄まで研究され、使われつくした幸せなゲーム機だったと思います。天寿を全うした、とでも言いましょうか。
さようなら、そしてありがとう、ファミコン。 20年間、おつかれさまでした。
とか書きつつ、無くならないうちに本体をキープしておかなくては、と思う僕。
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