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2003年05月17日(土)
「絶望」さえも愛するということ。


【「九州ウォーカー」に載っていた、森雪之丞さんの著書『絶望を愛した38の症例(サンプル)』(角川文庫)の宣伝コピー

「人を愛することは
  つまり
 絶望さえも愛すことなのだ」】

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 確かに、楽しいことだけしか受け入れられなければ、人を「愛する」なんてことはできませんよね。誰かを愛そうとすれば、当然、それが受け入れられなくて辛い思いをすることもあるでしょう。
もし2人の関係がうまくいったとしても「喜びは2倍、悲しみは半分」とか言いますが、相手の悲しみを共有すると考えれば、けっして「悲しみは半分」とは言い切れないところもありますよね。
 本来なら関係ないはずの他人の悲しみまで共有しないといけないわけですから。
 
 それに、どんなに素晴らしい人間関係においても、「別れ」は不可避です。
どちらかが「別れ」を選択しなくても、最終的には自分、もしくは相手の死によって、「終わり」はやってきます。

 そういう「絶望」が、いつかやってくることを知りつつも、人間は「愛すること」から逃げられないのですよね。

 世の中には、どう考えても「人と愛する」よりも「絶望している自分を愛している」んじゃないかと思われる「恋愛依存症」の人もいるわけなのですが。